“ナンバーワンというのは言うてみたら量的、数字的なものですわな。ところがオンリーワンというのはどちらかといえば質的なものや。量的、数字的なものはすぐにでも追いつかれ、追い越され、明日にでもナンバーツー、ナンバースリーにも落ちかねん。まあ1つの通過点みたいなものですかな・・・・。これで満足していたら企業はあかんと思いますな。もし追随をゆるさないナンバーワンというものがあるとすれば、それにはピタリと質的なオンリーワンの裏づけがあるはずや。このオンリーワンこそがわしが最も大切にしたいものやな。・・・又うちの企業が目指すところの目標だと思っている”(近江商人「たねやグループ」山本徳次会長の著書「たねやのあんこ」より引用)
100年余続く長寿優良企業「鰍スねや」(グループ売上約200億円)の基本目標は、我々“ひょうごオンリーワン経営研究会(HOO)”が目指していることと全く同じである。オンリーワン企業への重要性を改めて肝に銘じ、育成・支援に挑戦しよう。
HOO(発足メンバー16名)はH15年6月イベントからスタートする。テーマ「元気プロジェクトに学ぶ、元気な企業の条件」 参加者117名であった。発足の主な動機は次の3つである。1つは阪神大震災後、“ひょうご”に元気な企業を復活させる。2つは中小企業診断協会兵庫県支部(現県協会の前身)がオープンな対外活動へ挑戦する。3つはオンリーワン企業を志向し育成・支援する。爾来、元気企業交流会の定期的実施、対外オープンセミナー開催、ケーススタディ活動等を鋭意、実施する。時に大胆にその他はコツコツと地道な実践的研究を10年余り継続している。 現在会員数:6名
「初夢や“HOO”は今年やらねばやる年なし」
“HOO”と掛けて“やすきたかじん”と解く。その心は“やっぱ好きやねん”
平成26年度の幕開けの話題は、何といっても17年ぶりに消費税率が引き上げられたことでした。前回(平成9年)の引き上げ時と違って、総額表示が義務づけられて税込価格がキリのいい数字や割安感のある数字になっていたため、各業界で前回以上に難しい対応に迫られることになりました。その結果、転嫁対策として、一律に価格転嫁することよりも、売上の確保、コスト削減、その他経営力のアップによりこれまでの収益を確保することが行政などから推奨されました。これを受けて、私達中小企業診断士の多くの仲間が「転嫁対策セミナー」や「個別相談」などで活躍しました。
消費税の歴史をふり返ると、日本の経済社会の変遷の縮図を見る思いがします。昭和50年代の初頭にパリのプランタン百貨店で買い物をした時、多額の付加価値税に驚きましたが、その時からこの税金(大型間接税)が日本に上陸してくる予感はありました。その後、歴代の内閣が「一般消費税」「売上税」などと名前を変えながら取り組んできた結果、実現したのが平成元年の「消費税」です。その時、竹下首相が「将来になって皆さんからいい税金ができてよかったと言われる日がきっと来る」と誇らしげにテレビで話していた姿が忘れられません。
当時において、国民のどれだけが現在の日本の財政状態と高齢社会の姿を予想していたでしょうか。
同じ日本に生まれても、生まれた時代によって全く違う世界に生きることになります。経済成長、金利、物価、株価などの経済変動や、人口構成などの社会変動が、その時代に生きる人のライフプランを規制します。昭和26年生まれの私の世代についていうと、戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代の下にぶら下がる形で、彼らが切り開いた企業社会の道を歩んできました。大量採用の時代で、就活にはあまり苦労せず、毎年の春闘で給料は順調に増え、高金利で預金も増えました。確かにマイホームを手に入れる時はバブルで高値掴みをしましたが、多額のローンもインフレのおかげでいつの間にか繰り上げ返済でなくなりました。株価についていえば、父親が体調を崩して十数年間営業した工務店を休業したあと、株を持っていたために生活に困らずにすんだという危うい経験があります。
一方、私達の子供の世代がこれと同じ人生を歩むことは考えられません。まず就職について、私の世代は縁故や紹介で入社した会社で一生勤め上げるのが常識とされましたが、今では最近の週刊誌の「東大生の就活激変」という特集記事にもあるように、一つの会社に「就社」して同じ顔をしたサラリーマンになるのではなく、一人ひとりが自分のキャリアとライフプランを築いていく時代です。勿論、これまでにもその様な人はたくさんいましたが、これからはそれが必須となる時代です。それを受け入れるベンチャーなどの中小企業も進化しており、自ら創業しやすい環境も整ってきています。
人も企業も、これまで以上に「オンリーワン」になることが求められています。
最後に、戦中派の親を持つ世代の人間として、抱負を考えてみます。私達の世代は、戦後の貧しい生活の中でも日本独特の家族制度や風習が残っており、その制約を受けながらも守られた人生でした。次の世代は、家族制度や風習の縛りから解放されているかわりに、今まで以上に自分の人生は自分で選び取ることが求められています。私達の世代にできることは、過去の概念に囚われて彼らの人生を制約することなく、良き道しるべとなり、自らも「過去と他人を変えることはできない」という制約の元で、悔いのない人生の足跡を残すことです。
本年1月末、若い女性研究者を代表とするグループによる「STAP現象発見」の発表は「これぞオンリーワンの発見」と感動し、暗い見通しの多い日本の将来に一筋の光明を見た思いがした。しかし、数週間もしないうちにネット上で「論文の不正・捏造」が指摘され、論文作成に責任を有する理化学研究所(以後「理研」と記す)も不正を認めることとなったが、執筆代表の女性研究者が科学の世界では不要とも思える弁護士を立て反論し、いまだ「事実不明状態」にあることは周知の通りである。
若い頃、技術学会に多少関与していた小生にとって、論文の正否は別にし、この騒動は未だ理解し難いことが多い出来事である。
理研が論文発表を急いだ背景には「特定国立研究機関法人」として認定を受け、年間 約800億円を国費より得ている研究費のさらなる獲得を目指す意図もあったとの報道もある。こんな記事を読むと、中世のヨーロッパで特に流行った「錬金術(鉛のような安価な材料を金に変える研究?)」を想起させる。当時夢を求めてこの研究に没頭した自称研究者も多数いたと言う。STAP細胞研究が現代版錬金術であったとならないことを願う。
「1%のインスピレーションと99%のパースピレーション、これが発明を生む源泉」これは発明王と言われるエジソンの言葉として有名である。白熱電灯の発明は、フィラメント材料に京都産の竹の繊維により初めて成功したことも日本人には良く知られている。この竹にたどり着くまでに1000種類以上の材料で実験を繰り返した後に得られた結果と聞くと、その努力・執念には頭が下がる。現在でも「科学技術の発明・発見は汗と努力の結晶である」と言えると思う。
今回のSTAP論文にたどり着くまでに、多数の研究者が多大の努力をしたことは想像に難くない。論文論旨が不備であった点は未熟な研究者集団との非難は免れないが、「法的騒動」ではなく「科学論議」に戻り、結果の妥当性が一日も早く立証され「日本が誇れるオンリーワンの発見」として世界に提示できることを切に願う。
中小企業診断士業を定年で開業したあと、70歳代半ばで公的ルートの仕事がなくなり、顧問先というものを持たぬ主義から、わたくしの活動は各分野とも無償の時間消費型の研究会やボランティアなどである。この稿は、暗黙の目的として、研究会仲間のオンリーワン経営への想いを自由に伝える狙いがあるが、形式・字数・期限は定めが無く自由である。
期限の約束のない仕事は、雑用が重なったりで、つい遅れがちだ。今回もお待たせしました。それとない催促、それ以上に自らのモティベーションが支えである。
私のボランティアや趣味であって、自ら決めたスケトジュール・締切で、ながらくきちんと続き、自分なりに内容のある活動と自負しているものもある。余暇活用を超えた目標すなわちWhat to Doが明瞭になってきたおかげであろう。
阪神淡路大震災の思いもかけぬ状況のなか、わが町で住民が優しさを支えに、出来ることから知恵と力を出し合い、共助の救命などで生き抜いた体験の語り部活動がある。
このボランティアは、よほどの用事のない限り、週一度、木曜日の9時過ぎから2時過ぎまでをあてて、もう11年になる。
修学旅行の小中高の生徒諸君らは、熱心に耳を傾け、思いがけぬ事態にも阪神の住民のように「優しく助け合う」と約束してくれる。また海外からの熱心な来館者も少なくない。
大切な意義深い施設である。その役割や、感動を維持しつつ存続するすべについても、研究者や心あるボランティアは、自らの内容の向上や後継者確保などにつき、コンセンサスをもって務めていると思う。
語り部の講話は、終り時刻を守ることのほかは、内容ややり方等お任せである。その点には自信を持っていたがこの夏休み前、仲間の何度目かの提唱で、語り部有志の勉強会が始まった。ちょっと経験のある人のこれまた無料の講師のアドバイスがなかなか的をつく。おかげで、話術・発声法、話す態度・用具の活用法など、How toについても改善の課題ができた。
こうした目的や改善の意識が少し働くと、何度も繰り返す同じ講話でも、聞いてくれる方方はこの話を初めて聞くのだと、大切に思える。また、何々ご一同様ではなく一人一人独自の個性と事情を持つ人であると気づいて、モティベーションが新たになる。
願いと感謝の念を籠め、場の反応にあわせ、意を尽くし、言葉を選び語る。表現し、お客様に聴き・心を受け止めていただいた達成感と喜びの念は、ひとしおである。
そして、思いがけぬ激しい災害を切り抜けた人々を思うと、底流からの現下の変化に対応する社会や企業のあり方にも思い至り、貴重と思えるヒントが浮かんでも来る。
短歌は、中年にかかる頃亡父に「仕事に関係ない趣味を」と言われ、学生時代から縁のあった同人誌へ気ままに投稿を再開していた。40歳代に、恩師とおもう仕事もお持ちのM先生から「現役で仕事が忙しくとも、良い作品を休まず出せると証明したい、君も付き合わぬか」と声をかけられ、先生の続けておられる間は、と約束したのが契機で、添削を受け投稿を続けた。先生の指導は時に深い人間論にも及ぶのを感銘ふかく傾聴した。
先生が結社の編集長の立場へ転勤されても投稿は変わりなく続いた。何年か後、「君は多忙なのに、よく毎月続くね」と声をかけられた、お忘れになっている約束のことを申すと「それじゃめったに死なれんなあ」と破顔された。先生はその後何年かして静かに亡くなられた。
恩師との約束で始まった毎月投稿は、先生が忘却され、逝去された後も、わが生き甲斐、毎月の生活の一部となっていた。
たいそうなことではない、身辺の些事にも心を留め味わう。たとえば、常盤樹落ち葉が散って居る、見上げた高枝には若葉が、もうこんな季節・・、一年また大事無く過しえたささやかな喜びが内心に湧く、その思いを籠め「・・・樟の梢にはやも若葉萌えそむ」などと詠む。
短歌を生み出せるような日々は、生活の質として自足できる。
対象とそれに誘われた自らの思いを深く理解しようとの観察は、企業経営の観察評価にも連なり、父の言と違い、診断の仕事にも役立った。
その観察で浮かぶ想い・感動の三十一文字による表現の探求には、歌論・芸術論を学ぶことともなる。診断と支援の作業にも似ていた。最近試みている経営者の心掛けの研究にも、歌論や芸術論が役立つはずと模索しはじめている。
こうして短歌作りは、歌論の勉強とその人生訓や経営論への展開など、多くの創造的なものを、わが日常にもたらしてくれて居る。
HOOの使命に関る話題へ進もう。こう考えてきて、組織ひいては構成する人に、二つのタイプがある。
一つは、ことを進めるに当たり、かなり詳細なマニュアルの遵守を求め、メンバーの規律を大切にする。旧来の組織の原型である。多種多様な構成メンバーをとりあえず統制する等には、貴重ではあるが、How to DOがWhat to Doより大事にされがちな弊がある。製造業などが、成長市場で、合理化と増産をすれば繁盛しえた環境などでは、経営の真髄だったといえよう。今や競争は激化し、多様性や創造性の重要さが高まった産業界では長持ちしないのだが、穏やかな市場環境に特に恵まれた企業や、官僚組織などには、今も根強く残る。
以前当研究会でオンリーワン経営のT社の公開の企業見学会を開いた。その打合せの折に、常識的に同業者の見学参加の可否をお尋ねした。社長は即座に「わが社の強みはWhat to Doです。工場のHow to Doなどはどなたにでもお見せします」と明快にこたえた。同社のことをさまざまな資料も得て知るにつれ、この一言の重みが増してきた。
見学の際、枢要な工程の装置の一つに、目立つ色の塗装が気になった、なぜとの質問に「担当の好みでしょう」とあっさり言われて、企業組織の常識論から「あれっ?」そして同社の特質をおもって「なるほど!」と合点した。
同社は独自の、バネの多品種微量受注生産のビジネスモデルを確立した、知る人ぞ知る優れたオンリーワンの中小企業です。
当社経営のキーは職人等従業員を大切にすることにあると言える。
現社長は、創業者の遠縁で鉄工所の次男で幹部候補であったが、後継を託され、苦労しつつ数々の革新を実らせてきた。
後継社長として特訓中、現場に入りきつい生産作業に当たる職人の辛苦を実感している。
業界の主流は成長市場分野での量産で、その流れに乗り遅れたことは自覚しつつ、常識的な合理化策をとって、生産増加を求め、納期遅れなどの混乱も経験した。赤字を出してないだけで収益力のない体質にも気づき、退社したいと悩んでいた頃、海外視察で、言い値の通る経営の可能性に気づく。
そこで職人の技量を強みとする多品種の受注生産に徹し言い値を通すという、ものづくりの世界では少数派の方向を選択した。
当社の技量を評価し長年言い値を認めてくれてきた大手の、売上高の15%を占める大口取引先が合理化を図り、相見積もりで単価の半減を求めてきたとき、「言い値」経営に徹し、早晩競争になる大口は扱わない、「微量」の方針が決定的となった。信念に反するものに「Noと言える経営」、How to優先の時流に抗いWhat to Doを立てる経営の出発であった。
この新路線は、大量生産の合理化という時流に逆らうもので、同業・コンサルタント筋・情報処理の専門家らとも、話か合わず、社内でも疑念は続いた。だが若い社長は、大きな目標を明示・説得し、社内で共有化するのに、優れたリーダシップを発揮した。
バネなら何でも任せてといえる営業戦略として、製品の幅と深みをも拡げ・積極的な人材の確保育成活用・取引データの集積整理などの施策は次のように着々と進めた。
新規で未経験の引合いについて、社長は「やれ」と頭からは言わぬが、何とかできるかと、取り組む方向へ、未経験の領域でのリスクを承知でリードし、技術陣も積極的に新たな技術を高め・経験を貯えて行き,当社の強みを更に育てて居る。
皿バネは当社としては新分野と聞いたが、新鋭工場で取り組んでいる。
めったに引合いがないという、筍バネ等も技能者を養成し、直ぐにも生産できる。スプリングバネの自社開発の汎用加工装置は処理能力にゆとりがあって、最大口径の加工は何年かで一度受注し成功した話もある。回転効率を多少下げても、「バネなら何でも」という態勢を整え、広範囲の需要者からの信頼を重視している。次に述べる社員を大切にし、おのおのの仕事に誇りをもたせるとの哲学もあって、社員の士気は高く、自発的に、高度の技能を持続しさらに高める勢いがある。
当社は従業員満足を最優先する、顧客満足は、精一杯働き納期も確実な従業員の高いモティベーションの成果だからだ、という。経営者の第一の仕事は、モチィベーション、後継の資格は、心から社員を愛せることだとする。
営業スタッフは前社長時代には、再注文に対し手早く古いデータを出してくることで評価される傾きがあり、新社長はもっとクリエイティブな営業活動を求めて、取引記録のデータベース化に費用も・時間もかけた。
今営業スタッフは、経験が少なくても、十年ぶりなど古い再注文に、材料在庫の確認・受注価額見積もり・日程計画を直ぐ作り、成約する。つづいて製造指示書(他の同種製品とまとめての合理化を含む、一発生産できるきめ細かいもの)まで短時間にまとめる。
ベテランは、需要界の最先端の研究所などを回って高度な問題解決を助けつつ受注を開拓し、実にクリエイティブに活躍している。
現場のつらい作業に長い期間意欲を持って取り組めるのは、仕事への誇りだといい、技能やその資格と同等以上に、社員の誇りを大切にしている。
若手の採用育成にも熱心だ、一人前の職人の養成には五年はかかるから正社員で採用する。指導に当たる先輩職人には、「技術を教えるより、格好良さダンディズムを実地に示し、俺も今にと憧れさせよう」と求める。若手社員も定着はよく、かっこ良さ・憧れ・誇りなど人間的要素も兼備しつつ、着実に育っていると見た。
情報化の面では、結果は社長も理解できぬような高い水準の情報リテェラシーが社員間で育ち、受注から、工程計画、生産段取りのシステム化や、技術データの公開による新規市場などのいっそうの展望が広がって居る。
T社はこのように、言い値の通る商売を目指して、バネの微量生産をひろく深く極める目標(What to Do)を明示し、全社で共有し、それを、職人を大切にし、その能力を意欲を持ってのびのびと発揮させることにより、この未知の分野で成功した。その人を大切にする経営は、なまじのHow to Do的労務管理論では到底なしえないような、高度な経営だと考える。
かつて零細製造業の多くは、親父さんの習得した技量を多数の部下に早く真似させることで、在来からの製品を安く大量に供給するのが目的であり、マニュアルに従い、低コストで能率を上げる、画一的な規律が求められていた。
いまや中小企業でこのような創造性のないものは生存できない。古典的な組織論や、権威や利権に守られた団体などでこうした古めかしい組織運営が垣間見られることに、惑わされてはなるまい。
いまやまったく環境事情が変化した。中小企業のものづくりには、T社がたどったような、未知未経験の領域での創造性の発揮が死命を制する。
経営者の先見性ある信念と方針の明示・共有、人々の隠れた才能や創造力を引き出し生かす前向きで柔軟な組織運営が求められる。
T社は初期の模索の段階で、経営コンサルタント連にも助言の無いのはもとより、反対を受けたという。吾ら中小企業診断士として、またオンリーワン経営の研究を旗印にする者にして、適切なお手伝いができるのか、まだまだ研精を要しよう。
スポーツの世界でも戦略は存在するが、戦前の予想通りにはいかないのが常です。この事から考えれば、ビジネスが戦略通りに行かないのは、当然のことと言えます。単純で、かつ明確なルールのあるスポーツに比べて、ビジネスの世界は「何でもあり」で、相手は何をしてくるかわからない、環境が一変する、需要予測などあてにならない、わからないことだらけです。ところが、戦略策定が重視され、コンサルタントやMBAが様々な分析やフレームワークを駆使した戦略で勝負が決まると錯覚している経営者は多く、この勘違いは経営学の本やビジネス書が原因です。そこには、成功した企業が取り上げられ、経営者がその戦略について語っており、あたかもすべて事前の戦略や計画、またアイデアによって成功したように述べています。成功した経営者は、インタビューや講演の機会が多く、そのなかで自分なりのストーリーを創り上げていき、「勝てば官軍」で、後付の戦略でも、それが事前に策定されていたかのように語ると推測します。
チャートの横軸は、「実践は計画であったか?」、「創発的であったか?」。縦軸は、「戦略は成功したか?」、「戦略は失敗したか?」。創発的とは戦略を実行していく中で生まれた新たな戦略の事です。このチャートに基づいて調査があり、経営者の答えは、それぞれの象限が、25%ずつになった。つまり、横軸の計画的か創発的かはそれぞれ50%、縦軸の成功か失敗もそれぞれ50%になったということで、事前の戦略がそのまま成功したのが25%で、実行中に練り直した戦略で残りの25%の成功を導いたことが分かります。
戦略を実行に移すと、想定外の環境変化や競合の対抗策があり、また顧客の反応が予想通りに行かないことも多い。そのような事態に反応して、実行前の戦略を積極的に、変容させていく必要があります。つまり、どんな優秀なコンサルタントやマーケッターでも、需要予測や競合企業の動向を見通して、完璧な戦略を策定することはできません。従って、その策定された戦略が成功するかどうかは、組織能力として、トップと現場が戦略と実績とのズレをうまく修正する擦り合わせ能力が求められます。
戦略は仮説!やってみなければ分かりません!
「商売は芸術である」これは、私が自分の体験を元に到達した一つの理念です。
人が快適な生活をするのに必要なもの、それは物であり心遣いであり人の和でもあります。人が1日を生活するのに、いろいろなサービスや関わりを受けていますが、その殆どは誰かの商売(仕事)との関わりでもあります。
あるサポートをしている時に「商売人のような」と揶揄(やゆ)されたことがあります。自分の商売(仕事)を円滑にこなすために自然と頭を下げる行為をそう思われたのかも知れませんが、まだまだ自分の修行が足りないと感じました。しかし同時に自分の商売には誇りをもって、徹底すべき必要があると痛感しました。
つまり「芸術」の域に到達させることが必要であると。
絵を描くことや作曲をすることも、重要な芸術であると同時に、歌舞伎や演劇も人の生活には不可欠なものです。なにより人を喜ばすことが出来なければ、成功しないという現実を持ってしても、共通性があります。
商家に生まれた私には、商売の難しさと同時に滅私の領域まで到達しなければ、人に感動を与えることが出来ないことと、そして中途半端な商売は常に淘汰にさらされる現実を見てきました。
企業経営の難しさと本来目指す尊さの源泉がそこにあり芸術と類似します。
人を喜ばすほどの徹底することが芸術でもまた同じ意味で商売(事業)でなぜ必要であるかを考えてみましょう。
この意味で、企業がある分野で特筆すべき成果を上げる行為が、オンリーワン企業の証ではないかと考えています。そのためには強い理念と不断の努力が必要です。
それは芸術の域への達成が必要なのです。
いま公的機関の創業・事業化支援アドバイザーを拝命して、その育成に微力ながらお手伝いをしていますが、オンリーワン企業の萌芽を見ることができます。
この萌芽をより現実的大輪にできる様努力すると共に、HOOでの研究対象として側面から理論的サポートをしたいと強く考えています。
雲の上から初日の出が燦々と光り新年はあける。めずらしく元旦に初雪が降った。 本年は阪神大震災20年である。みんなの懸命の頑張りのもと町も家も復興した。企業も多くの難事を乗り越え復活できた。風化してはならない後世へ引継ぐべき体験であるがいつまでも多くこだわり続けてはいけない。当研究会は震災後の“ひょうごに元気な企業を復活させる”思いを持って出発した。阪神大震災20年を機にHOOのささやかながら積み上げた実績のもと当会も脱皮し、更なる展開を目指してゆきたい。
“特色があり且つ内容の良い企業”がオンリーワン企業である。小生なりに(客観性は不十分かもしれないが)“特色があるコンサルティングが出来且つ内容の良い企業”に関与した実践事例を取り上げ記すことにする。幾つかあげてみたい。
本来、提供サービスの評価は顧客がするものであり、コンサルティング評価もクライアントが行うものである。自己評価が一見、手前ミソになるきらいはお許しいただきたい。世に評判のオンリーワン企業について第三者の立場からオンリーワン企業研究を行うのが従来、主だった。2015年の新年を機に自らを振り返り・総括しオンリーワン経営研究を前進させたい。
兵庫県東播に創業60年の製パンメーカーN社がある。10年前、関連会社が東京へ進出しリテイルパン業界で話題の高級ベーカリーチェーンを展開している(添付写真参照)。 ご縁の発端は1977年、経営診断のご用命からである。当時の年商は約8億円だった。 現在グループの年商は60数億円と発展中である。
そのころ、当地域は神戸のベッドタウンとして流入人口が多かった。神戸製鋼所の工場進出もあり活気溢れる成長市場である。経営診断では当社の内部、外部を調査・分析後、「売上倍増年商20億円」を目標とする5か年計画を提言した。このプランは当社のかわいらしいロゴマークに合わせ「パニートウェンティー(20)計画」と名付けられた。当時の販売は本社工場製品のホールセール(卸し)が主であたった。新販売戦略としてリテイル(小売り)・直営店重視へ大きく舵を変えた。商圏20キロメートル内で、JR線の各駅を軸に20の直営店を展開し、5年後20億円の売上を目標とする。「トウエンティー(20)」をキーワードとする経営戦略である。・・・・・紆余曲折はあったが60才余の創業社長と30才代のご子息兄弟の積極果敢な経営でこの計画は達成できた。
成長期の企業に小休止は許されない。第2次の5か年計画が必要となる。そこでかねがね目標としていた加古川を中心とする高砂市を含めた2市3町市場で“売上シエアー50%計画”の旗を上げることになった。“この地域の消費者2人に1人は我社のおいしいパンを食べていただく作戦”である。ヤマサキパンを筆頭に大小メーカーが激しく競合するパン業界で市場シエアー50%は無謀に見える目標である。だが当社の経営・販売力からして挑戦可能と判断した。
2代目、しかもリーダーシップのある現社長を中心とする成長期の企業は強い。“旗を上げると全社一丸の風が吹く”社員、パート、協力業者を含めた全社員の頑張りも一段と高まった。商品、製造、営業、PR、物流の各戦術が懸命に実行された。そしてこの目標もほぼ達成した。経営コンサルタントの小生にとっては始めてのトータル支援である。胸おどる貴重な体験、社員の皆さんと一緒になりワクワクしながら挑戦した。N社の成長期の1コマである。
30年余の現在、東京市場の基盤を築いた三代目予定の後継者は北海道・美瑛で牧場経営を進めている。自家乳牛を使用した乳製品とパンづくりが目標である。兵庫県の地場メーカーの堅実な基盤をもとに一方で大胆に東京展開、北海道進出を図り発展している。大メーカーの占拠率が圧倒的に高く、大小の格差が大きいパン業界である。今や中堅メーカーへ発展するには厳しい壁がある。市場の盛衰を冷静に見通した当グループの市場戦略と事業開発力は大胆なオンリーワン志向である。“地場メーカーから中堅専業メーカーへ脱皮・発展するオンリーワン企業”の1つのモデルと言えよう。
力不足で至らぬ点は多くあったが“企業(クライアント)と共に歩み、企業(クライアント)の発展に奉仕する”コンサルティングに挑戦した1例であった。三代にわたる当社の経営者及び関係者から貴重な実践経営のエキスを教わったことへの深謝はつきない。“経営に終わりはない” 当社のこれからの更なる発展を祈念したい。
新しい年度を迎えて研究会のテーマを考える中で、気掛かりなキーワードは「統合思考」と「経営革新」です。いずれも、企業の持続的成長にとって必須のテーマです。
最初に「統合思考」とは、企業が投資家などのステークホルダーに対する企業報告を改善しようとする中から生まれた発想です。投資の意思決定に必要な情報として、従来は「有価証券報告書」や「決算短信」等の法定開示書類が中心的な役割を担ってきましたが、最近では、CSR報告書、環境報告書、アニュアルレポートなど、非財務情報を含めた膨大な資料がWEBなどで開示されるようになりました。その結果、投資家にとっては、資料の読み込みに時間がかり、かえってどの資料を重視すればいいのかの判断が難しい状況になっています。そこで、財務情報と非財務情報を統合した新たなディスクロージャーのフレームワークを開発するために、国際統合報告委員会(IIRC)が設立され、2013年に「統合報告書」のフレームワークが公表されました。「統合報告書」とは、主に投資家に対して「統合報告」をするためのものですが、その後は投資家だけではなく、取引先や従業員、顧客を含めたあらゆるステークホルダーに対象を広げています。また、根底となる「統合思考」には、企業の縦割り組織による「サイロ思考」を改善するという意図も含まれるようになりました。
当初は上場会社の開示資料として考えられた「統合報告書」でしたが、国際統合報告委員会(IIRC)のパイロット・プログラムには、中小企業として昭和電機鰍ェ参加を要請されました。同社は2014年に従来の知的資産経営報告書を「統合報告書」にバージョンアップしましたが、その支援をされたのは中小企業診断士の森下勉先生です。今後は、「統合報告書」の中小企業版フレームワークが知的資産経営報告書に代わるものとして普及する予感がしています。当研究会においては、一昨年の工場見学を機会に東海バネ工業鰍フ財務データを含めた数々の資料を入手していますが、同社の「統合報告書」を試作してみてはどうかと考えているところです。
次に、「経営革新」について、当研究会がテーマとしている「オンリーワン企業」とは、特色のある企業のことですが、そのためには「ものづくりの革新・革新的サービス」が必要であることから、『経営革新』が外せないテーマになります。具体的な指針として、「中小ものづくり高度化法」において平成26年2月10日に「特定ものづくり基盤技術」の指定がなされたのに続いて、本年1月には、「中小サービス事業者の生産性向上のためのガイドライン」が公表されました。これらを参考にしながら、オンリーワン企業の拠り所となる「経営革新」について考えていきたいと思います。
当研究会には、「匠の技」と聞くと一昨年工場見学した東海バネ工業鰍想起される方が多いと思われる。同社は、長年の間に培ったバネづくりの「匠の技」を生かし製品の差別化を図って来たことは周知の通りである。
日本には古くより、多くのものづくり分野で技芸に長じた匠と尊称される職人がいた。工業的規模の生産が始まる明治期以前は、匠は小規模職人集団の親方に過ぎなかった。この時代の匠による製品の代表的なものに日本刀があげられる。近世日本社会を支配していた武士より「魂」とまで言われた日本刀を匠が作り上げた技に興味を覚え、製造法を少々調べてみたことがある。そこには今の小規模製造業にも参考となる取り組みが見られた。
@日本刀の概略製造工程は、製鋼(たたら吹き法)→鍛錬(鍛造・熱処理)→研磨→柄など附属品製造・組立、である。各工程は、専門の職人集団で分担し、各集団の匠が異業種連携体制を組むことにより、日本刀に仕上げられた。
A匠の極めた技は、長年の経験により培ったものであるが今の工学的知見からも妥当な製法と言える。匠には、現象を鋭く分析し、法則性を見出す洞察力があったものと推察する。
匠の技を磨き上げ日本刀に求められる「折れず、曲がらず、よく切れる」性能を実現した。
B後継者の育成に努め、実地訓練により技能の伝承を図った。現在と同様にOJTにより弟子に秘伝を継承し、弟子はさらなる高度化を図った。
以上3点例示したが、連携による総合力の発揮・創意と工夫による製品の高性能化・技能伝承など今の小規模企業にも参考となる取り組みが日本刀づくりの中から見て取れる。
1543年、種子島にポルトガル人より鉄砲が伝来されたことは良く知られている。驚くことに翌年には鉄砲の国産化がされている。種々試作したとのことであるが、日本刀を製造する技術力を有する匠にとって鉄砲づくりは困難なことではなかったのであろう。
その後、信長時代には日本は世界一の鉄砲量産国となった。江戸時代、幕府の鉄砲製造者制限もあり、鉄砲は廃れ、刀の製造技術は伝承・進化した。刀を魂とする日本人の美意識があったのであろう。日本刀のお陰で日本は銃社会とならなかったとも言える。
今では日本刀は、世界で美術品と見なされているオンリーワン製品である。
オンリーワン経営を推進するうえで、世間のこのところの政官の情勢がかなり気にかかる。門外の政治行政まで、古い見聞を交えての独白ゆえ多少の事実や言葉の違いはご寛恕をお願いする。
昭和50年代頃の低成長期に経営相談などで、次のような、たくましい中小企業多数と出会った。
不況期の競争で、たくましさを発揮するそうした経営を私は、これからの時代のわが国の中小・中堅企業経営の規範と信じ、今日に及ぶ。こうしたタイプの企業体は県下でも多く活躍している。
オンリーワン経営研究会の発足時から仲間入りし、こうした経営を県下から全国また世界にまで伝え・広め、支援しようと努めつつ、満足すべき成果はまだ挙げえていない。
定年で兵庫の診断仲間のもとへ帰参のおり、所感として「補助金や景気・為替等の相場を当てにしないような企業の応援」を等と申したが、その気持は変わりない。
県が補助し大手家電工場を誘致したが、短期間で撤退に追込まれた。競争力を失くしてゆく大企業の延命よりは、オンリーワン的中小企業を沢山育成するべきを誤り、補助金を無駄にしたと思う。
経済成長に取り残された地域を省みると、元は主要であった米作農業は長らく米価維持、補助など保護策に依存し、兼業の零細農家が多く残り海外や他の食料との競争に遅れをとった。
地域の主な産業は建設業と言うのが多かった。箱物作りや土木工事に安易に偏り、地場産業や中堅中小企業の地道な育成が遅れたのだ。
地域振興の過程で民―政―官の依存関係は、繰り返せばはじめの理念とかけ離れた議員を頼りに振興策のくり返しを求める民 ―選挙地盤を固め多選と時に世襲で地位を高める政―政を利用し自省庁の職域・権益強化の利を求める官のような関係として概括できよう。民への程よい支援とは?とても答えきれぬ問題だ。
だが阪神大震災には学ぶべき経験があった。
あのとき、近代都市は災害に弱かったが、組織も用具も無いご近所同士の直後の助け合いが人命救助数の4分の3で、官の救助隊4分の1の3倍もの大きな力となった。
救助の生死の分岐点は当日で神戸市の資料では、日付別救出者の生存率は当日80%、翌日は29%で5割も低下している。――だが官は依然として、大災害時72時間以内の救助派遣を主力とすると言う。
直後のミルクを溶く湯も無いという危機に、飲食料・老人用オムツや車載発電機など生存と社会維持への多方面からの支援が届けられた。素直に感謝し勇気を受け復興へと働き始めた人たちが復興を支えた。
かく、優しく、純で力強い罹災民らの姿・市民の世界に格調ある未来を、私は確信したものだ。
だが他方では支援に慣れ、生活費が浮くなどとばかり、依存して炊き出しや弁当にも選好みをし、自力による再建の意欲を素直には感じられぬような人もいた。多くは職や生き方が旧型で罹災後自立し難いような事情があるのだが、こうした心がけの違いが後の成果には大きな差となった。
安倍宰相ご自慢の経済政策アベノミクスだが、地域振興でよく見受けたような、底の浅い景気浮揚策の域を出ず、世間も識者たちも批判的だ。
安倍宰相は、つぎつぎと政治課題に手を付け捌いている、強力な指導者と評価する向きもあるが、各種の報道でみれば、指導者として疑問点が多い。
私も敗戦前7,8才で、小国民教育にすっかり染められ「神風特攻隊に入る」と誓っていたのを痛々しく思い出す。また今の官僚社会は強大で、かつてソ連が、共産主義でというより官僚支配の非能率で、米の自由社会に敗れたと私は観測した、歴史を思う。
政の関心は選挙だから、人口は多くとも投票率の低い都市部でも、支持者の確保・維持が重大で、キーとなるグループ向けに偏った言動も生まれるであろう。多様多数の支持を求めない選挙なら―そして多数を占めた国会でも―、逞しい経営者たちの如き相互理解や課題の共有は不要であり、言動は稚拙になるのも、理解は出来る。
ところで戦わねば平和は護れないのだろうか。米国の外交戦略は効果も評判も下がっている。「非戦の日本」を旗印に国際的な貢献をしている団体や人々も居るではないか。
米も含む宗教対立紛争などへ、日本の非戦の理念と、人の信仰信念に寛容な文化・思想をもって、各国の穏健な人々と共に、殺し合いの無益さを確かめ合い、相互の理解と信頼を深める働きかけなどが、わが国の役割ではないか。
世界は今徐々に豊かになり、互いが身近になって、価値観の違いが目立って来た。逞しい経営者たちの如く歩み寄り、違いを理解し援け合おう。争えば互いに滅びるのみだ。私自身も努力しよう。
選挙が公平に改革され、投票率も高まれば、政は長期的に民の福利を図らざるを得ない。政が誠実正常に働き出せば、官の迷走も正せよう。
公正な世間で誠実に競い合うことで、オンリーワン経営も栄え、世間も住みよくなろう。
経済が好調な時期には、私たちは政治や行政がダメでも、産業で世間は栄えるとの自信があり。
主権者としての責任をかえりみず、政官の逸走を許してしまった。私たちの責任である。
機会あるたびに政官への厳正な判断を明確に示そう。
近年も棄権者が多数で、大党派の支持者より政治を軽んずる人の数が多いのではないか。有権者が軽んじていて、政治が良くなるはずは無い。投票率が高ければ政治家の言動も変わるはずだ。
世間に少しは影響力のある産業界が利害を超越して、選挙には行こうと、声を上げたいものだ。
昨今の政官からの甘い補助やうわべの景気に気を許さず、世界に通用するユニークな中小中堅企業の育成に力を尽くさねばならないと、重く重く想う。