オンリーワン企業の特質と重要性

ナンバーワン企業は定量面に特色がある企業である。それに対してオンリーワン企業は質的なオンリー性(唯一性)を特色とする企業である。“独創的な製品、技術、サービス、システムを持つ優秀な中小企業”をオンリーワン企業として捉える。経済成熟化、企業多様化時代のなかで今後の企業が目指してゆくべき最も重要な企業像の1つである。

HOO経営研究会とは

こうした独創的で活力あるオンリーワン企業が地域により多く生まれ、より力強くなることを願い2003年に県下の中小企業診断士の有志が集まった研究会である。オンリーワン企業について過去10年間、県下はもとより各地の事例を調査し、研究分析し、コンサルティングに活かしてきた。
近年の中小企業経営の厳しさの中、より一層のオンリーワン経営の必要性を痛感し、活動の充実を図っている。オンリーワン企業事例は、私達のささやかな調査研究でとり上げたものでも多種多様である。
「オンリーワン企業の創出」に多くの企業の方々と共に挑戦してゆく事がこの会の目標である。

リレー執筆
リレー執筆第18回/H29年5月10日  福島 繁
「家島諸島の考古学」展示会

 4月初旬、桜の頃、姫路市埋蔵文化財センターへ「家島諸島の考古学」展示会を見学に行く。私事ながら家島は小生の郷土である。昨年は「地方創生」研究で“現在の島おこし”を含めた小論を発表した。今回の展示会は、郷土に”はるか古い歴史がある”ことを学ぶ機会となった。

 どこの地域にも人の営みの始まりがあり、その地、固有の歴史がある。家島諸島は奈良時代に編纂された「播磨風土記」に「伊刀嶋」として登場する。姫路港の南西約20キロメートル、播磨灘に浮かぶ大小20余りの島々からなる。“島々の歴史は古く、約2万年前の旧石器時代からの人々の足跡が連綿と刻まれている。家島諸島の本格的な調査は、昭和34年(1959年)行われた「家島群島総合学術調査」に始まる。三笠宮殿下が名誉団長を務められたこの調査では大山神社遺跡の発見、チンカドン古墳、マルトバ古墳など考古学の分野上でも大きな成果があった”と記されている(「家島諸島の考古学」姫路市埋蔵文化財センター冊子より)当総合調査は小生が高校生の真夏だった。島中が最高に盛り上がった記憶が残っている。

1 展示会の内容

 会場では家島諸島の大きな写真パネルや古代からの克明な年表が掲示されていた。世代別の遺跡が資料・出土品でリアルに展示されている。学術調査員の解説も大変、分かり易かった。主な展示内容は次の通りである。
 @ 家島考古学の先駆者・郷土史家中上實氏の著作・採集出土品の展示
 A 「家島群島総合学術調査」のレポート、採集資料、出土品展示
 B 家島諸島の各遺跡の紹介と土器、石器、斧、槍等の展示

2 家島諸島の歴史年表(俯瞰図)

“遠い祖先の生活がとり行われたであろう所を訪ねてその土の上に過去を想像し、明日の家島を建設し未来を進展する“バネ”にもなればと念願する“(家島の郷土史家:中上實氏)

 この言葉にも心動かされ展示会後、改めて身辺に残っている家島の歴史に関する古書、著作等を読み返してみた。亡父の記した資料も理解できる事になった。“吹けば飛ぶような将棋の駒”でないが“吹けば飛ぶような播磨の島”もやっぱりこんな古い営みが継続していることを実感し驚く。では太古からの家島の歴史をどう俯瞰すればいいのか?精密には歴史の専門家がやって下さるだろう。全くの独断ながら小生なりに「家島諸島の歴史年表(俯瞰図)」を今回は次の通りまとめてみた。

3 歴史の学び方・見方

 郷土の古代史に接し歴史に古い、遠いつながりをある事を改めて知る。同時にこの遠い、長い歴史をどう俯瞰し、どう学べば良いか迷った。これも本来は歴史学の基本があるのだろうが次のように整理することにした。いかがなものだろうか?

@ 歴史は何故、大切か?
―変化が激しい現代、未来に生きる人にとって遠い過去の歴史を学ぶ意味はあるか―
過去より未来が大切であるが「温故知新」 歴史を学ぶことが未来予測に役立つ
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

A 史実重視か? 伝承の意味は?
―ノン・フィクションか フィクションか―
あくまで史実、ノン・フィクション重視である。だが伝説・伝承は史実でないがその付近に史実が隠れていることがある。その意味で伝承も検証が必要である。また伝承のメリットは空想・ロマンの楽しみを与えてくれることだろう。

B 歴史はいつの時代から重視すべきか?
―古代史、中世史、近世史等が出揃えばいつの時代から重視してゆくべきか―
宇宙や生命の起源を探る人もいる。だが我々はせいぜい遡っても人の営みの始まりから探ることだろう。

 見学日当日 地元家島から同級生3名もたまたま訪問していた。遺跡周辺を走り回った頃を想い出し懇談する。久しぶりの再会も郷土史展示会開催のお蔭と感謝する。


リレー執筆第1回/H26年1月14日  福島 繁
「目指すのはオンリーワン企業」

 “ナンバーワンというのは言うてみたら量的、数字的なものですわな。ところがオンリーワンというのはどちらかといえば質的なものや。量的、数字的なものはすぐにでも追いつかれ、追い越され、明日にでもナンバーツー、ナンバースリーにも落ちかねん。まあ1つの通過点みたいなものですかな・・・・。これで満足していたら企業はあかんと思いますな。もし追随をゆるさないナンバーワンというものがあるとすれば、それにはピタリと質的なオンリーワンの裏づけがあるはずや。このオンリーワンこそがわしが最も大切にしたいものやな。・・・又うちの企業が目指すところの目標だと思っている”(近江商人「たねやグループ」山本徳次会長の著書「たねやのあんこ」より引用)

 100年余続く長寿優良企業「鰍スねや」(グループ売上約200億円)の基本目標は、我々“ひょうごオンリーワン経営研究会(HOO)”が目指していることと全く同じである。オンリーワン企業への重要性を改めて肝に銘じ、育成・支援に挑戦しよう。

「ひょうごオンリーワン経営研究会(HOO)」の原点

 HOO(発足メンバー16名)はH15年6月イベントからスタートする。テーマ「元気プロジェクトに学ぶ、元気な企業の条件」 参加者117名であった。発足の主な動機は次の3つである。1つは阪神大震災後、“ひょうご”に元気な企業を復活させる。2つは中小企業診断協会兵庫県支部(現県協会の前身)がオープンな対外活動へ挑戦する。3つはオンリーワン企業を志向し育成・支援する。爾来、元気企業交流会の定期的実施、対外オープンセミナー開催、ケーススタディ活動等を鋭意、実施する。時に大胆にその他はコツコツと地道な実践的研究を10年余り継続している。 現在会員数:6名

「本年:H26年の小生の抱負」

「初夢や“HOO”は今年やらねばやる年なし」
“HOO”と掛けて“やすきたかじん”と解く。その心は“やっぱ好きやねん”


リレー執筆第2回/H26年4月3日  中島 和樹(代表)
新しい年度を迎えて

 平成26年度の幕開けの話題は、何といっても17年ぶりに消費税率が引き上げられたことでした。前回(平成9年)の引き上げ時と違って、総額表示が義務づけられて税込価格がキリのいい数字や割安感のある数字になっていたため、各業界で前回以上に難しい対応に迫られることになりました。その結果、転嫁対策として、一律に価格転嫁することよりも、売上の確保、コスト削減、その他経営力のアップによりこれまでの収益を確保することが行政などから推奨されました。これを受けて、私達中小企業診断士の多くの仲間が「転嫁対策セミナー」や「個別相談」などで活躍しました。

 消費税の歴史をふり返ると、日本の経済社会の変遷の縮図を見る思いがします。昭和50年代の初頭にパリのプランタン百貨店で買い物をした時、多額の付加価値税に驚きましたが、その時からこの税金(大型間接税)が日本に上陸してくる予感はありました。その後、歴代の内閣が「一般消費税」「売上税」などと名前を変えながら取り組んできた結果、実現したのが平成元年の「消費税」です。その時、竹下首相が「将来になって皆さんからいい税金ができてよかったと言われる日がきっと来る」と誇らしげにテレビで話していた姿が忘れられません。

 当時において、国民のどれだけが現在の日本の財政状態と高齢社会の姿を予想していたでしょうか。

人も企業も「オンリーワン」の時代

 同じ日本に生まれても、生まれた時代によって全く違う世界に生きることになります。経済成長、金利、物価、株価などの経済変動や、人口構成などの社会変動が、その時代に生きる人のライフプランを規制します。昭和26年生まれの私の世代についていうと、戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代の下にぶら下がる形で、彼らが切り開いた企業社会の道を歩んできました。大量採用の時代で、就活にはあまり苦労せず、毎年の春闘で給料は順調に増え、高金利で預金も増えました。確かにマイホームを手に入れる時はバブルで高値掴みをしましたが、多額のローンもインフレのおかげでいつの間にか繰り上げ返済でなくなりました。株価についていえば、父親が体調を崩して十数年間営業した工務店を休業したあと、株を持っていたために生活に困らずにすんだという危うい経験があります。

 一方、私達の子供の世代がこれと同じ人生を歩むことは考えられません。まず就職について、私の世代は縁故や紹介で入社した会社で一生勤め上げるのが常識とされましたが、今では最近の週刊誌の「東大生の就活激変」という特集記事にもあるように、一つの会社に「就社」して同じ顔をしたサラリーマンになるのではなく、一人ひとりが自分のキャリアとライフプランを築いていく時代です。勿論、これまでにもその様な人はたくさんいましたが、これからはそれが必須となる時代です。それを受け入れるベンチャーなどの中小企業も進化しており、自ら創業しやすい環境も整ってきています。

 人も企業も、これまで以上に「オンリーワン」になることが求められています。

今年度の抱負

 最後に、戦中派の親を持つ世代の人間として、抱負を考えてみます。私達の世代は、戦後の貧しい生活の中でも日本独特の家族制度や風習が残っており、その制約を受けながらも守られた人生でした。次の世代は、家族制度や風習の縛りから解放されているかわりに、今まで以上に自分の人生は自分で選び取ることが求められています。私達の世代にできることは、過去の概念に囚われて彼らの人生を制約することなく、良き道しるべとなり、自らも「過去と他人を変えることはできない」という制約の元で、悔いのない人生の足跡を残すことです。


リレー執筆第3回/H26年4月27日  久保田 稔
STAP細胞騒動に思う

 本年1月末、若い女性研究者を代表とするグループによる「STAP現象発見」の発表は「これぞオンリーワンの発見」と感動し、暗い見通しの多い日本の将来に一筋の光明を見た思いがした。しかし、数週間もしないうちにネット上で「論文の不正・捏造」が指摘され、論文作成に責任を有する理化学研究所(以後「理研」と記す)も不正を認めることとなったが、執筆代表の女性研究者が科学の世界では不要とも思える弁護士を立て反論し、いまだ「事実不明状態」にあることは周知の通りである。
若い頃、技術学会に多少関与していた小生にとって、論文の正否は別にし、この騒動は未だ理解し難いことが多い出来事である。

  • 論文中の重要な写真の貼り替えを「悪意ないものであり不正ではない」と主張する研究者としての倫理観。その後理研の調査委員会委員長も同様なことをしていたとして委員長職を辞任することとなった。理研の組織・風土にも疑念を抱かせる事態である。
  • 「レシピ・コツ」と称し発見の妥当性を立証しようとしない研究者としての姿勢。論文発表段階では発見の新規なものは全て特許出願している。開示できないノウハウはあるであろうが、公表した後には発見の妥当性を世に納得させる説明責任はある。
  • 理研の一研究者が数年で200回以上も確認できたと言う現象を、理研がその立証実験に1年も要するとする理研の組織マネジメント力。

 理研が論文発表を急いだ背景には「特定国立研究機関法人」として認定を受け、年間 約800億円を国費より得ている研究費のさらなる獲得を目指す意図もあったとの報道もある。こんな記事を読むと、中世のヨーロッパで特に流行った「錬金術(鉛のような安価な材料を金に変える研究?)」を想起させる。当時夢を求めてこの研究に没頭した自称研究者も多数いたと言う。STAP細胞研究が現代版錬金術であったとならないことを願う。

 「1%のインスピレーションと99%のパースピレーション、これが発明を生む源泉」これは発明王と言われるエジソンの言葉として有名である。白熱電灯の発明は、フィラメント材料に京都産の竹の繊維により初めて成功したことも日本人には良く知られている。この竹にたどり着くまでに1000種類以上の材料で実験を繰り返した後に得られた結果と聞くと、その努力・執念には頭が下がる。現在でも「科学技術の発明・発見は汗と努力の結晶である」と言えると思う。

 今回のSTAP論文にたどり着くまでに、多数の研究者が多大の努力をしたことは想像に難くない。論文論旨が不備であった点は未熟な研究者集団との非難は免れないが、「法的騒動」ではなく「科学論議」に戻り、結果の妥当性が一日も早く立証され「日本が誇れるオンリーワンの発見」として世界に提示できることを切に願う。


リレー執筆第4回/H26年8月8日  千田 徹夫
ボランティアと趣味とオンリーワン経営のWhat to Do

 中小企業診断士業を定年で開業したあと、70歳代半ばで公的ルートの仕事がなくなり、顧問先というものを持たぬ主義から、わたくしの活動は各分野とも無償の時間消費型の研究会やボランティアなどである。この稿は、暗黙の目的として、研究会仲間のオンリーワン経営への想いを自由に伝える狙いがあるが、形式・字数・期限は定めが無く自由である。
期限の約束のない仕事は、雑用が重なったりで、つい遅れがちだ。今回もお待たせしました。それとない催促、それ以上に自らのモティベーションが支えである。

ボランティア活動のモティベーション

 私のボランティアや趣味であって、自ら決めたスケトジュール・締切で、ながらくきちんと続き、自分なりに内容のある活動と自負しているものもある。余暇活用を超えた目標すなわちWhat to Doが明瞭になってきたおかげであろう。

 阪神淡路大震災の思いもかけぬ状況のなか、わが町で住民が優しさを支えに、出来ることから知恵と力を出し合い、共助の救命などで生き抜いた体験の語り部活動がある。
 このボランティアは、よほどの用事のない限り、週一度、木曜日の9時過ぎから2時過ぎまでをあてて、もう11年になる。
 修学旅行の小中高の生徒諸君らは、熱心に耳を傾け、思いがけぬ事態にも阪神の住民のように「優しく助け合う」と約束してくれる。また海外からの熱心な来館者も少なくない。
大切な意義深い施設である。その役割や、感動を維持しつつ存続するすべについても、研究者や心あるボランティアは、自らの内容の向上や後継者確保などにつき、コンセンサスをもって務めていると思う。
 語り部の講話は、終り時刻を守ることのほかは、内容ややり方等お任せである。その点には自信を持っていたがこの夏休み前、仲間の何度目かの提唱で、語り部有志の勉強会が始まった。ちょっと経験のある人のこれまた無料の講師のアドバイスがなかなか的をつく。おかげで、話術・発声法、話す態度・用具の活用法など、How toについても改善の課題ができた。
 こうした目的や改善の意識が少し働くと、何度も繰り返す同じ講話でも、聞いてくれる方方はこの話を初めて聞くのだと、大切に思える。また、何々ご一同様ではなく一人一人独自の個性と事情を持つ人であると気づいて、モティベーションが新たになる。
願いと感謝の念を籠め、場の反応にあわせ、意を尽くし、言葉を選び語る。表現し、お客様に聴き・心を受け止めていただいた達成感と喜びの念は、ひとしおである。
そして、思いがけぬ激しい災害を切り抜けた人々を思うと、底流からの現下の変化に対応する社会や企業のあり方にも思い至り、貴重と思えるヒントが浮かんでも来る。

趣味短歌の継続がもたらしたもの

 短歌は、中年にかかる頃亡父に「仕事に関係ない趣味を」と言われ、学生時代から縁のあった同人誌へ気ままに投稿を再開していた。40歳代に、恩師とおもう仕事もお持ちのM先生から「現役で仕事が忙しくとも、良い作品を休まず出せると証明したい、君も付き合わぬか」と声をかけられ、先生の続けておられる間は、と約束したのが契機で、添削を受け投稿を続けた。先生の指導は時に深い人間論にも及ぶのを感銘ふかく傾聴した。
 先生が結社の編集長の立場へ転勤されても投稿は変わりなく続いた。何年か後、「君は多忙なのに、よく毎月続くね」と声をかけられた、お忘れになっている約束のことを申すと「それじゃめったに死なれんなあ」と破顔された。先生はその後何年かして静かに亡くなられた。
 恩師との約束で始まった毎月投稿は、先生が忘却され、逝去された後も、わが生き甲斐、毎月の生活の一部となっていた。
 たいそうなことではない、身辺の些事にも心を留め味わう。たとえば、常盤樹落ち葉が散って居る、見上げた高枝には若葉が、もうこんな季節・・、一年また大事無く過しえたささやかな喜びが内心に湧く、その思いを籠め「・・・樟の梢にはやも若葉萌えそむ」などと詠む。
短歌を生み出せるような日々は、生活の質として自足できる。
 対象とそれに誘われた自らの思いを深く理解しようとの観察は、企業経営の観察評価にも連なり、父の言と違い、診断の仕事にも役立った。
その観察で浮かぶ想い・感動の三十一文字による表現の探求には、歌論・芸術論を学ぶことともなる。診断と支援の作業にも似ていた。最近試みている経営者の心掛けの研究にも、歌論や芸術論が役立つはずと模索しはじめている。
 こうして短歌作りは、歌論の勉強とその人生訓や経営論への展開など、多くの創造的なものを、わが日常にもたらしてくれて居る。

組織の二タイプ、How to 型と What to Do 型

 HOOの使命に関る話題へ進もう。こう考えてきて、組織ひいては構成する人に、二つのタイプがある。
 一つは、ことを進めるに当たり、かなり詳細なマニュアルの遵守を求め、メンバーの規律を大切にする。旧来の組織の原型である。多種多様な構成メンバーをとりあえず統制する等には、貴重ではあるが、How to DOがWhat to Doより大事にされがちな弊がある。製造業などが、成長市場で、合理化と増産をすれば繁盛しえた環境などでは、経営の真髄だったといえよう。今や競争は激化し、多様性や創造性の重要さが高まった産業界では長持ちしないのだが、穏やかな市場環境に特に恵まれた企業や、官僚組織などには、今も根強く残る。

 以前当研究会でオンリーワン経営のT社の公開の企業見学会を開いた。その打合せの折に、常識的に同業者の見学参加の可否をお尋ねした。社長は即座に「わが社の強みはWhat to Doです。工場のHow to Doなどはどなたにでもお見せします」と明快にこたえた。同社のことをさまざまな資料も得て知るにつれ、この一言の重みが増してきた。

 見学の際、枢要な工程の装置の一つに、目立つ色の塗装が気になった、なぜとの質問に「担当の好みでしょう」とあっさり言われて、企業組織の常識論から「あれっ?」そして同社の特質をおもって「なるほど!」と合点した。
 同社は独自の、バネの多品種微量受注生産のビジネスモデルを確立した、知る人ぞ知る優れたオンリーワンの中小企業です。
 当社経営のキーは職人等従業員を大切にすることにあると言える。
 現社長は、創業者の遠縁で鉄工所の次男で幹部候補であったが、後継を託され、苦労しつつ数々の革新を実らせてきた。
 後継社長として特訓中、現場に入りきつい生産作業に当たる職人の辛苦を実感している。
 業界の主流は成長市場分野での量産で、その流れに乗り遅れたことは自覚しつつ、常識的な合理化策をとって、生産増加を求め、納期遅れなどの混乱も経験した。赤字を出してないだけで収益力のない体質にも気づき、退社したいと悩んでいた頃、海外視察で、言い値の通る経営の可能性に気づく。
 そこで職人の技量を強みとする多品種の受注生産に徹し言い値を通すという、ものづくりの世界では少数派の方向を選択した。
 当社の技量を評価し長年言い値を認めてくれてきた大手の、売上高の15%を占める大口取引先が合理化を図り、相見積もりで単価の半減を求めてきたとき、「言い値」経営に徹し、早晩競争になる大口は扱わない、「微量」の方針が決定的となった。信念に反するものに「Noと言える経営」、How to優先の時流に抗いWhat to Doを立てる経営の出発であった。

オンリーワン経営確立の軌跡

 この新路線は、大量生産の合理化という時流に逆らうもので、同業・コンサルタント筋・情報処理の専門家らとも、話か合わず、社内でも疑念は続いた。だが若い社長は、大きな目標を明示・説得し、社内で共有化するのに、優れたリーダシップを発揮した。
 バネなら何でも任せてといえる営業戦略として、製品の幅と深みをも拡げ・積極的な人材の確保育成活用・取引データの集積整理などの施策は次のように着々と進めた。

 新規で未経験の引合いについて、社長は「やれ」と頭からは言わぬが、何とかできるかと、取り組む方向へ、未経験の領域でのリスクを承知でリードし、技術陣も積極的に新たな技術を高め・経験を貯えて行き,当社の強みを更に育てて居る。
皿バネは当社としては新分野と聞いたが、新鋭工場で取り組んでいる。
めったに引合いがないという、筍バネ等も技能者を養成し、直ぐにも生産できる。スプリングバネの自社開発の汎用加工装置は処理能力にゆとりがあって、最大口径の加工は何年かで一度受注し成功した話もある。回転効率を多少下げても、「バネなら何でも」という態勢を整え、広範囲の需要者からの信頼を重視している。次に述べる社員を大切にし、おのおのの仕事に誇りをもたせるとの哲学もあって、社員の士気は高く、自発的に、高度の技能を持続しさらに高める勢いがある。

 当社は従業員満足を最優先する、顧客満足は、精一杯働き納期も確実な従業員の高いモティベーションの成果だからだ、という。経営者の第一の仕事は、モチィベーション、後継の資格は、心から社員を愛せることだとする。
営業スタッフは前社長時代には、再注文に対し手早く古いデータを出してくることで評価される傾きがあり、新社長はもっとクリエイティブな営業活動を求めて、取引記録のデータベース化に費用も・時間もかけた。
今営業スタッフは、経験が少なくても、十年ぶりなど古い再注文に、材料在庫の確認・受注価額見積もり・日程計画を直ぐ作り、成約する。つづいて製造指示書(他の同種製品とまとめての合理化を含む、一発生産できるきめ細かいもの)まで短時間にまとめる。
ベテランは、需要界の最先端の研究所などを回って高度な問題解決を助けつつ受注を開拓し、実にクリエイティブに活躍している。
現場のつらい作業に長い期間意欲を持って取り組めるのは、仕事への誇りだといい、技能やその資格と同等以上に、社員の誇りを大切にしている。
若手の採用育成にも熱心だ、一人前の職人の養成には五年はかかるから正社員で採用する。指導に当たる先輩職人には、「技術を教えるより、格好良さダンディズムを実地に示し、俺も今にと憧れさせよう」と求める。若手社員も定着はよく、かっこ良さ・憧れ・誇りなど人間的要素も兼備しつつ、着実に育っていると見た。

 情報化の面では、結果は社長も理解できぬような高い水準の情報リテェラシーが社員間で育ち、受注から、工程計画、生産段取りのシステム化や、技術データの公開による新規市場などのいっそうの展望が広がって居る。

未経験領域を切り拓くために

 T社はこのように、言い値の通る商売を目指して、バネの微量生産をひろく深く極める目標(What to Do)を明示し、全社で共有し、それを、職人を大切にし、その能力を意欲を持ってのびのびと発揮させることにより、この未知の分野で成功した。その人を大切にする経営は、なまじのHow to Do的労務管理論では到底なしえないような、高度な経営だと考える。

 かつて零細製造業の多くは、親父さんの習得した技量を多数の部下に早く真似させることで、在来からの製品を安く大量に供給するのが目的であり、マニュアルに従い、低コストで能率を上げる、画一的な規律が求められていた。
いまや中小企業でこのような創造性のないものは生存できない。古典的な組織論や、権威や利権に守られた団体などでこうした古めかしい組織運営が垣間見られることに、惑わされてはなるまい。

 いまやまったく環境事情が変化した。中小企業のものづくりには、T社がたどったような、未知未経験の領域での創造性の発揮が死命を制する。
 経営者の先見性ある信念と方針の明示・共有、人々の隠れた才能や創造力を引き出し生かす前向きで柔軟な組織運営が求められる。
 T社は初期の模索の段階で、経営コンサルタント連にも助言の無いのはもとより、反対を受けたという。吾ら中小企業診断士として、またオンリーワン経営の研究を旗印にする者にして、適切なお手伝いができるのか、まだまだ研精を要しよう。


リレー執筆第5回/H26年10月14日  亀井 芳郎
戦略とは?

 スポーツの世界でも戦略は存在するが、戦前の予想通りにはいかないのが常です。この事から考えれば、ビジネスが戦略通りに行かないのは、当然のことと言えます。単純で、かつ明確なルールのあるスポーツに比べて、ビジネスの世界は「何でもあり」で、相手は何をしてくるかわからない、環境が一変する、需要予測などあてにならない、わからないことだらけです。ところが、戦略策定が重視され、コンサルタントやMBAが様々な分析やフレームワークを駆使した戦略で勝負が決まると錯覚している経営者は多く、この勘違いは経営学の本やビジネス書が原因です。そこには、成功した企業が取り上げられ、経営者がその戦略について語っており、あたかもすべて事前の戦略や計画、またアイデアによって成功したように述べています。成功した経営者は、インタビューや講演の機会が多く、そのなかで自分なりのストーリーを創り上げていき、「勝てば官軍」で、後付の戦略でも、それが事前に策定されていたかのように語ると推測します。

 チャートの横軸は、「実践は計画であったか?」、「創発的であったか?」。縦軸は、「戦略は成功したか?」、「戦略は失敗したか?」。創発的とは戦略を実行していく中で生まれた新たな戦略の事です。このチャートに基づいて調査があり、経営者の答えは、それぞれの象限が、25%ずつになった。つまり、横軸の計画的か創発的かはそれぞれ50%、縦軸の成功か失敗もそれぞれ50%になったということで、事前の戦略がそのまま成功したのが25%で、実行中に練り直した戦略で残りの25%の成功を導いたことが分かります。

戦略を実行に移すと、想定外の環境変化や競合の対抗策があり、また顧客の反応が予想通りに行かないことも多い。そのような事態に反応して、実行前の戦略を積極的に、変容させていく必要があります。つまり、どんな優秀なコンサルタントやマーケッターでも、需要予測や競合企業の動向を見通して、完璧な戦略を策定することはできません。従って、その策定された戦略が成功するかどうかは、組織能力として、トップと現場が戦略と実績とのズレをうまく修正する擦り合わせ能力が求められます。

戦略は仮説!やってみなければ分かりません!


リレー執筆第6回/H26年11月12日  塔筋 幸造
オンリーワン企業も芸術

 「商売は芸術である」これは、私が自分の体験を元に到達した一つの理念です。
人が快適な生活をするのに必要なもの、それは物であり心遣いであり人の和でもあります。人が1日を生活するのに、いろいろなサービスや関わりを受けていますが、その殆どは誰かの商売(仕事)との関わりでもあります。
あるサポートをしている時に「商売人のような」と揶揄(やゆ)されたことがあります。自分の商売(仕事)を円滑にこなすために自然と頭を下げる行為をそう思われたのかも知れませんが、まだまだ自分の修行が足りないと感じました。しかし同時に自分の商売には誇りをもって、徹底すべき必要があると痛感しました。
つまり「芸術」の域に到達させることが必要であると。
絵を描くことや作曲をすることも、重要な芸術であると同時に、歌舞伎や演劇も人の生活には不可欠なものです。なにより人を喜ばすことが出来なければ、成功しないという現実を持ってしても、共通性があります。
商家に生まれた私には、商売の難しさと同時に滅私の領域まで到達しなければ、人に感動を与えることが出来ないことと、そして中途半端な商売は常に淘汰にさらされる現実を見てきました。
企業経営の難しさと本来目指す尊さの源泉がそこにあり芸術と類似します。

 人を喜ばすほどの徹底することが芸術でもまた同じ意味で商売(事業)でなぜ必要であるかを考えてみましょう。

 この意味で、企業がある分野で特筆すべき成果を上げる行為が、オンリーワン企業の証ではないかと考えています。そのためには強い理念と不断の努力が必要です。
それは芸術の域への達成が必要なのです。

 いま公的機関の創業・事業化支援アドバイザーを拝命して、その育成に微力ながらお手伝いをしていますが、オンリーワン企業の萌芽を見ることができます。
この萌芽をより現実的大輪にできる様努力すると共に、HOOでの研究対象として側面から理論的サポートをしたいと強く考えています。


リレー執筆第7回/H27年1月16日  福島 繁
2015年新年の幸多かれと初雪は舞う。

 雲の上から初日の出が燦々と光り新年はあける。めずらしく元旦に初雪が降った。 本年は阪神大震災20年である。みんなの懸命の頑張りのもと町も家も復興した。企業も多くの難事を乗り越え復活できた。風化してはならない後世へ引継ぐべき体験であるがいつまでも多くこだわり続けてはいけない。当研究会は震災後の“ひょうごに元気な企業を復活させる”思いを持って出発した。阪神大震災20年を機にHOOのささやかながら積み上げた実績のもと当会も脱皮し、更なる展開を目指してゆきたい。

“オンリーワン・コンサルティング”レポート (その1)

 “特色があり且つ内容の良い企業”がオンリーワン企業である。小生なりに(客観性は不十分かもしれないが)“特色があるコンサルティングが出来且つ内容の良い企業”に関与した実践事例を取り上げ記すことにする。幾つかあげてみたい。

 本来、提供サービスの評価は顧客がするものであり、コンサルティング評価もクライアントが行うものである。自己評価が一見、手前ミソになるきらいはお許しいただきたい。世に評判のオンリーワン企業について第三者の立場からオンリーワン企業研究を行うのが従来、主だった。2015年の新年を機に自らを振り返り・総括しオンリーワン経営研究を前進させたい。

“売上シエア―50%への挑戦”―地域の2人に1人は我社のパンをー

 兵庫県東播に創業60年の製パンメーカーN社がある。10年前、関連会社が東京へ進出しリテイルパン業界で話題の高級ベーカリーチェーンを展開している(添付写真参照)。 ご縁の発端は1977年、経営診断のご用命からである。当時の年商は約8億円だった。 現在グループの年商は60数億円と発展中である。

1.地場メーカーのリテイル(小売)展開

そのころ、当地域は神戸のベッドタウンとして流入人口が多かった。神戸製鋼所の工場進出もあり活気溢れる成長市場である。経営診断では当社の内部、外部を調査・分析後、「売上倍増年商20億円」を目標とする5か年計画を提言した。このプランは当社のかわいらしいロゴマークに合わせ「パニートウェンティー(20)計画」と名付けられた。当時の販売は本社工場製品のホールセール(卸し)が主であたった。新販売戦略としてリテイル(小売り)・直営店重視へ大きく舵を変えた。商圏20キロメートル内で、JR線の各駅を軸に20の直営店を展開し、5年後20億円の売上を目標とする。「トウエンティー(20)」をキーワードとする経営戦略である。・・・・・紆余曲折はあったが60才余の創業社長と30才代のご子息兄弟の積極果敢な経営でこの計画は達成できた。

2.市場シェアー50%の旗

成長期の企業に小休止は許されない。第2次の5か年計画が必要となる。そこでかねがね目標としていた加古川を中心とする高砂市を含めた2市3町市場で“売上シエアー50%計画”の旗を上げることになった。“この地域の消費者2人に1人は我社のおいしいパンを食べていただく作戦”である。ヤマサキパンを筆頭に大小メーカーが激しく競合するパン業界で市場シエアー50%は無謀に見える目標である。だが当社の経営・販売力からして挑戦可能と判断した。

3.全社一丸の風が吹く

2代目、しかもリーダーシップのある現社長を中心とする成長期の企業は強い。“旗を上げると全社一丸の風が吹く”社員、パート、協力業者を含めた全社員の頑張りも一段と高まった。商品、製造、営業、PR、物流の各戦術が懸命に実行された。そしてこの目標もほぼ達成した。経営コンサルタントの小生にとっては始めてのトータル支援である。胸おどる貴重な体験、社員の皆さんと一緒になりワクワクしながら挑戦した。N社の成長期の1コマである。

4.その後の展開(現況)・・・パン専業中堅メーカーへ発展

30年余の現在、東京市場の基盤を築いた三代目予定の後継者は北海道・美瑛で牧場経営を進めている。自家乳牛を使用した乳製品とパンづくりが目標である。兵庫県の地場メーカーの堅実な基盤をもとに一方で大胆に東京展開、北海道進出を図り発展している。大メーカーの占拠率が圧倒的に高く、大小の格差が大きいパン業界である。今や中堅メーカーへ発展するには厳しい壁がある。市場の盛衰を冷静に見通した当グループの市場戦略と事業開発力は大胆なオンリーワン志向である。“地場メーカーから中堅専業メーカーへ脱皮・発展するオンリーワン企業”の1つのモデルと言えよう。

<振り返り>

力不足で至らぬ点は多くあったが“企業(クライアント)と共に歩み、企業(クライアント)の発展に奉仕する”コンサルティングに挑戦した1例であった。三代にわたる当社の経営者及び関係者から貴重な実践経営のエキスを教わったことへの深謝はつきない。“経営に終わりはない” 当社のこれからの更なる発展を祈念したい。


リレー執筆第8回/H27年3月13日  中島 和樹(代表)
「統合思想」と「経営革新」−企業の持続的成長を求めて−

 新しい年度を迎えて研究会のテーマを考える中で、気掛かりなキーワードは「統合思考」と「経営革新」です。いずれも、企業の持続的成長にとって必須のテーマです。

 最初に「統合思考」とは、企業が投資家などのステークホルダーに対する企業報告を改善しようとする中から生まれた発想です。投資の意思決定に必要な情報として、従来は「有価証券報告書」や「決算短信」等の法定開示書類が中心的な役割を担ってきましたが、最近では、CSR報告書、環境報告書、アニュアルレポートなど、非財務情報を含めた膨大な資料がWEBなどで開示されるようになりました。その結果、投資家にとっては、資料の読み込みに時間がかり、かえってどの資料を重視すればいいのかの判断が難しい状況になっています。そこで、財務情報と非財務情報を統合した新たなディスクロージャーのフレームワークを開発するために、国際統合報告委員会(IIRC)が設立され、2013年に「統合報告書」のフレームワークが公表されました。「統合報告書」とは、主に投資家に対して「統合報告」をするためのものですが、その後は投資家だけではなく、取引先や従業員、顧客を含めたあらゆるステークホルダーに対象を広げています。また、根底となる「統合思考」には、企業の縦割り組織による「サイロ思考」を改善するという意図も含まれるようになりました。

 当初は上場会社の開示資料として考えられた「統合報告書」でしたが、国際統合報告委員会(IIRC)のパイロット・プログラムには、中小企業として昭和電機鰍ェ参加を要請されました。同社は2014年に従来の知的資産経営報告書を「統合報告書」にバージョンアップしましたが、その支援をされたのは中小企業診断士の森下勉先生です。今後は、「統合報告書」の中小企業版フレームワークが知的資産経営報告書に代わるものとして普及する予感がしています。当研究会においては、一昨年の工場見学を機会に東海バネ工業鰍フ財務データを含めた数々の資料を入手していますが、同社の「統合報告書」を試作してみてはどうかと考えているところです。

 次に、「経営革新」について、当研究会がテーマとしている「オンリーワン企業」とは、特色のある企業のことですが、そのためには「ものづくりの革新・革新的サービス」が必要であることから、『経営革新』が外せないテーマになります。具体的な指針として、「中小ものづくり高度化法」において平成26年2月10日に「特定ものづくり基盤技術」の指定がなされたのに続いて、本年1月には、「中小サービス事業者の生産性向上のためのガイドライン」が公表されました。これらを参考にしながら、オンリーワン企業の拠り所となる「経営革新」について考えていきたいと思います。


リレー執筆第9回/H27年5月10日  久保田 稔
匠の技

 当研究会には、「匠の技」と聞くと一昨年工場見学した東海バネ工業鰍想起される方が多いと思われる。同社は、長年の間に培ったバネづくりの「匠の技」を生かし製品の差別化を図って来たことは周知の通りである。

 日本には古くより、多くのものづくり分野で技芸に長じた匠と尊称される職人がいた。工業的規模の生産が始まる明治期以前は、匠は小規模職人集団の親方に過ぎなかった。この時代の匠による製品の代表的なものに日本刀があげられる。近世日本社会を支配していた武士より「魂」とまで言われた日本刀を匠が作り上げた技に興味を覚え、製造法を少々調べてみたことがある。そこには今の小規模製造業にも参考となる取り組みが見られた。

 @日本刀の概略製造工程は、製鋼(たたら吹き法)→鍛錬(鍛造・熱処理)→研磨→柄など附属品製造・組立、である。各工程は、専門の職人集団で分担し、各集団の匠が異業種連携体制を組むことにより、日本刀に仕上げられた。

 A匠の極めた技は、長年の経験により培ったものであるが今の工学的知見からも妥当な製法と言える。匠には、現象を鋭く分析し、法則性を見出す洞察力があったものと推察する。

  • 砂鉄を炭火のなかで空気を吹き込みながら溶融し鋼を製造したが、純鉄に近い砂鉄に溶け込む炭火中の炭素量を制御・分類し必要な性能を有する鋼を得た。
  • 硬い高炭素鋼の中に軟らかい低炭素鋼をサンドイッチ状にはさみ、約15回折り曲げながら鍛造した。現在でもある複合材の製法であり、さらには、15回折り曲げ鍛造することで約3万の鉄の層を形成し、強靭な鋼とした。
  • 高温から水冷すると鋼が硬くなる(焼入れ処理)現象を把握し、適正な加熱温度を表面の輝きから判別した。

 匠の技を磨き上げ日本刀に求められる「折れず、曲がらず、よく切れる」性能を実現した。

 B後継者の育成に努め、実地訓練により技能の伝承を図った。現在と同様にOJTにより弟子に秘伝を継承し、弟子はさらなる高度化を図った。

 以上3点例示したが、連携による総合力の発揮・創意と工夫による製品の高性能化・技能伝承など今の小規模企業にも参考となる取り組みが日本刀づくりの中から見て取れる。

 1543年、種子島にポルトガル人より鉄砲が伝来されたことは良く知られている。驚くことに翌年には鉄砲の国産化がされている。種々試作したとのことであるが、日本刀を製造する技術力を有する匠にとって鉄砲づくりは困難なことではなかったのであろう。
その後、信長時代には日本は世界一の鉄砲量産国となった。江戸時代、幕府の鉄砲製造者制限もあり、鉄砲は廃れ、刀の製造技術は伝承・進化した。刀を魂とする日本人の美意識があったのであろう。日本刀のお陰で日本は銃社会とならなかったとも言える。
今では日本刀は、世界で美術品と見なされているオンリーワン製品である。


リレー執筆第10回/H27年7月18日  千田 徹夫
世間の情勢とオンリーワン経営

 オンリーワン経営を推進するうえで、世間のこのところの政官の情勢がかなり気にかかる。門外の政治行政まで、古い見聞を交えての独白ゆえ多少の事実や言葉の違いはご寛恕をお願いする。
昭和50年代頃の低成長期に経営相談などで、次のような、たくましい中小企業多数と出会った。

  • 世間の潜在ニーズまでも観察・洞察し、顧客の欲求と自社の可能性のギャップのうちに課題を見出し、旧来なら対立しがちのステークホルダーとも協調し、課題を解決し成功している。
  • 組織は旧来の主流の指示服従型などを刷新した,参画型と言おうか、未経験の領域でも目標を共有し自由とモラールを高めメンバーの能力を引き出し、成果を上げてきた。
  • 心がけとして、ステークホルダーのためを誠実に図り、そののち利益も得る人も良し我もまた良しといった経営である。旧来のタイプが主人の利や幹部の出世のため、経験や才覚を頼りに、客や使用人をあしらっている様な点と異なる。

不況期の競争で、たくましさを発揮するそうした経営を私は、これからの時代のわが国の中小・中堅企業経営の規範と信じ、今日に及ぶ。こうしたタイプの企業体は県下でも多く活躍している。
オンリーワン経営研究会の発足時から仲間入りし、こうした経営を県下から全国また世界にまで伝え・広め、支援しようと努めつつ、満足すべき成果はまだ挙げえていない。

旧来の地域振興を総括・ほどよい補助とは

 定年で兵庫の診断仲間のもとへ帰参のおり、所感として「補助金や景気・為替等の相場を当てにしないような企業の応援」を等と申したが、その気持は変わりない。
 県が補助し大手家電工場を誘致したが、短期間で撤退に追込まれた。競争力を失くしてゆく大企業の延命よりは、オンリーワン的中小企業を沢山育成するべきを誤り、補助金を無駄にしたと思う。
 経済成長に取り残された地域を省みると、元は主要であった米作農業は長らく米価維持、補助など保護策に依存し、兼業の零細農家が多く残り海外や他の食料との競争に遅れをとった。
地域の主な産業は建設業と言うのが多かった。箱物作りや土木工事に安易に偏り、地場産業や中堅中小企業の地道な育成が遅れたのだ。
 地域振興の過程で民―政―官の依存関係は、繰り返せばはじめの理念とかけ離れた議員を頼りに振興策のくり返しを求める民 ―選挙地盤を固め多選と時に世襲で地位を高める政―政を利用し自省庁の職域・権益強化の利を求める官のような関係として概括できよう。民への程よい支援とは?とても答えきれぬ問題だ。
 だが阪神大震災には学ぶべき経験があった。
あのとき、近代都市は災害に弱かったが、組織も用具も無いご近所同士の直後の助け合いが人命救助数の4分の3で、官の救助隊4分の1の3倍もの大きな力となった。
救助の生死の分岐点は当日で神戸市の資料では、日付別救出者の生存率は当日80%、翌日は29%で5割も低下している。――だが官は依然として、大災害時72時間以内の救助派遣を主力とすると言う。
 直後のミルクを溶く湯も無いという危機に、飲食料・老人用オムツや車載発電機など生存と社会維持への多方面からの支援が届けられた。素直に感謝し勇気を受け復興へと働き始めた人たちが復興を支えた。
 かく、優しく、純で力強い罹災民らの姿・市民の世界に格調ある未来を、私は確信したものだ。
だが他方では支援に慣れ、生活費が浮くなどとばかり、依存して炊き出しや弁当にも選好みをし、自力による再建の意欲を素直には感じられぬような人もいた。多くは職や生き方が旧型で罹災後自立し難いような事情があるのだが、こうした心がけの違いが後の成果には大きな差となった。

安易な景気浮揚策と短絡するリーダーシップ

 安倍宰相ご自慢の経済政策アベノミクスだが、地域振興でよく見受けたような、底の浅い景気浮揚策の域を出ず、世間も識者たちも批判的だ。

  • 無理な円安誘導で潤うのは産業界の一部で、地道な努力を重ねてきた経営体や生活者には負の効果が大きく、国民の不満が強い。
  • 軍需向け輸出の規制緩和や、防衛活動強化の政策の陰に朝鮮動乱やベトナム戦争などで一部業界が恩恵を受けた特需の再来を期待の思惑も仄見える。
  • 強引な金融緩和などは、産業界に投資意欲の弱いなか、嘗て日本経済が大被害をこうむったごときバブル化も憂慮され、補助金の丸損ですむ間違いとは桁違いの、リスクを内蔵する。
  • 財政も赤字を国債に頼るが、負債を背負いきれぬ国が現に出た。民の貯蓄に見合う負債との見方もあるが、国債が危険になれば民の自由なお金は逃げる。国民に犠牲を強いる秘策でもあるのだろうか。

 安倍宰相は、つぎつぎと政治課題に手を付け捌いている、強力な指導者と評価する向きもあるが、各種の報道でみれば、指導者として疑問点が多い。

  • 自説にこだわり、他の意見、学識者の違憲警告にも耳をかさない。最後は国会の多数決で押し切る腹が見える。その多数は違憲とされる選挙制に基づき、「今しか無い」とのあせりも見える。最近は野党と話すポーズが見えるが、旧来の党利重視の駆け引きとうつる。
  • 官の求める機密保護の立法、メディア報道への干渉を繰り返す。自党内でも自由な意見交換が圧殺されていると言う。昭和初期の軍部官僚の台頭を思わされる。

 私も敗戦前7,8才で、小国民教育にすっかり染められ「神風特攻隊に入る」と誓っていたのを痛々しく思い出す。また今の官僚社会は強大で、かつてソ連が、共産主義でというより官僚支配の非能率で、米の自由社会に敗れたと私は観測した、歴史を思う。
 政の関心は選挙だから、人口は多くとも投票率の低い都市部でも、支持者の確保・維持が重大で、キーとなるグループ向けに偏った言動も生まれるであろう。多様多数の支持を求めない選挙なら―そして多数を占めた国会でも―、逞しい経営者たちの如き相互理解や課題の共有は不要であり、言動は稚拙になるのも、理解は出来る。
 ところで戦わねば平和は護れないのだろうか。米国の外交戦略は効果も評判も下がっている。「非戦の日本」を旗印に国際的な貢献をしている団体や人々も居るではないか。
米も含む宗教対立紛争などへ、日本の非戦の理念と、人の信仰信念に寛容な文化・思想をもって、各国の穏健な人々と共に、殺し合いの無益さを確かめ合い、相互の理解と信頼を深める働きかけなどが、わが国の役割ではないか。
 世界は今徐々に豊かになり、互いが身近になって、価値観の違いが目立って来た。逞しい経営者たちの如く歩み寄り、違いを理解し援け合おう。争えば互いに滅びるのみだ。私自身も努力しよう。

政治の改革と主権者選挙民の責任

 選挙が公平に改革され、投票率も高まれば、政は長期的に民の福利を図らざるを得ない。政が誠実正常に働き出せば、官の迷走も正せよう。
 公正な世間で誠実に競い合うことで、オンリーワン経営も栄え、世間も住みよくなろう。
 経済が好調な時期には、私たちは政治や行政がダメでも、産業で世間は栄えるとの自信があり。
主権者としての責任をかえりみず、政官の逸走を許してしまった。私たちの責任である。
 機会あるたびに政官への厳正な判断を明確に示そう。
 近年も棄権者が多数で、大党派の支持者より政治を軽んずる人の数が多いのではないか。有権者が軽んじていて、政治が良くなるはずは無い。投票率が高ければ政治家の言動も変わるはずだ。
 世間に少しは影響力のある産業界が利害を超越して、選挙には行こうと、声を上げたいものだ。
 昨今の政官からの甘い補助やうわべの景気に気を許さず、世界に通用するユニークな中小中堅企業の育成に力を尽くさねばならないと、重く重く想う。


リレー執筆第11回/H28年2月5日  塔筋 幸造
オンリーワンを目指して、中小企業が勝つためのネット販売戦略をVRIOで考える

 アマゾンと聞いて、南米の国を連想するよりインターネット販売の会社であることを、最初に考える時代となりました。アマゾンのビジネスモデルは「ロングテール戦略」ですが、これは余り数の売れない商品も品揃えに入れて、全体的に売上や利益を出す戦略です。
 これは従来のパレートの法則「売上の80%は、売れ行きの良い20%の商品で構成される」という法則とは違い、アマゾンでは書籍などの場合「1種あたりの販売数量の少ない80%の商品群」を取り扱い、つまりロングテール部分で売上の半分をつくる販売戦略をとっています。

これを可能にするのはネット販売で、膨大なアイテム(商品)を低コストで取り扱うことができるために、ヒット商品の大量販売に依存することなく、ニッチ商品の多品種少量販売によって大きな売り上げ、利益を得ることができるということになります。
 本来、ニッチな商品を扱うこと自体は中小企業の得意分野ですが、アマゾンのように大手の販売業者がロングテール戦略でのニッチな分野を収益源としている現状をふまえ、中小企業が勝てる戦略とするためには具体的にどういった方法を構築すべきかを検討する必要があります。

 アマゾンの強みについて考えてみると、ブランド力(知名度)優れた流通のノウハウ(配送経費)が上げられます。ネット販売では、これらの利点を中小企業も吸収しある程度の競争力を確保することができます。 ロングテール商品は顧客が自ら探すという商品であり、大手だから買うというよりも、この商品だから買うといった志向が強く働きます。

 重要なことは、大手企業のEコマースを用いたネット販売というビジネスモデルは意外と単純であり、中小企業も模倣可能であるこという事実です。アマゾンほどの商品範囲と規模を実現するのは困難ですが、後発であってもニッチ市場に合わせて商品ジャンルを絞り「珍しいだけ」では売れないことを理解した上で、他社競合の影響を極限まで回避した「自社の強みを活かしたネット販売」(BtoC BtoBを含む)構築は可能なはずです。

<ロングテールを意識したWEBサイト作り>
 ニッチ商品を扱う中小企業のSEO対策を考えてみましょう。ブラウザ上で「探す」主流は検索エンジンになりますが、アクセス数を多く集めているWEBサイトにおいては、一部の人気キーワードからのアクセス数よりも、アクセスの少ないキーワード(ロングテールキーワード)を積み重ねたアクセス数が上回ることがほとんどです。
 具体的にはヒットさせたいキーワードをページ内のテキストにし、それが競合の少ないニッチなキーワードであれば本格的なSEO対策を施さずに上位にヒットさせることが可能です。ブログなどが検索ヒットするのがよい例ではないでしょうか。
 さらにヒットさせたいキーワードをテーマに1つのWEBページに1つのメインテーマを持たせることも基本になります。基本となる1ページ1テーマにすることでブレないテーマ作りも可能になります。
 また、既存のWEBサイトにヒットさせたい場合は、新しいコンテンツページを制作する必要があります。これは作り直す感覚に近いですが、新しいコンテンツをどんどん増やすことで様々なキーワードから流入する間口を広げることになります。

 情報は出すところに集まるといわれるように、少しまめな手当が必要ですが、自社のニッチな商品に対してだけなら、この作業は大手の作業に比べてとても効率的です。検索エンジンのクローラーは、更新頻度の高いWEBサイトへ頻繁に訪ずれ、更新頻度の少ないサイトへは、頻繁に訪れなくなります。
 新しいページを作成しても、それが認識されるのに時間がかかれば、メリットは少なくなります。サイト自体を強くする必要がある。これは、全てのSEOに共通する点ですが、検索エンジンに優秀と認められたサイトは、それらに関連する全てのページに対して、重要度が振り分けられ、上位表示されやすくなります。
  ロングテールSEOを行う上で、最も重要視しなければならない要素はキーワード選びです。検索数に対してライバルの少ないキーワードを選ぶ必要もありますが、特定の分野でのノウハウをもつ企業ならこの作業で大手との差別化がはかれます。
 中小企業ならではの強みが活かせる。そして、WEBサイトの更新が自社で行えるかどうか、継続的に行えるかどうかが成否を決定します。

[無断転記厳禁]


リレー執筆第12回/H28年3月31日  橘 雅清
私の体験

 桜の季節になり、多くのスキー場では今シーズンの営業を終了した。今シーズンは全国的に雪不足のスタートで、1月にまとまった雪が降るまで本格オープンできないスキー場も少なくなかった。その大雪からしばらくたった平日の午後、私は1人、あるスキー場にいた。自分独りで滑りに行ったという意味ではない。スキー場全体で滑っているのは自分だけという贅沢。貸し切りにできるほど大金を持っているわけはなく、買ったのは午後リフト券1枚のみである。リフトの係りの方によると、その日の一般客は5人だけであり、もうすぐ1人滑りに来るとのこと。

さすがに心細かったので、リフト乗り場近くに写っているスノーボーダーがやって来たときには正直ほっとした。(ゲレンデ中腹の人影は作業しているスタッフである。)だが、いくら平日とはいえ客が5人では経営など成り立たない。
 実は15時までは小学校の団体客がいた。このスキー場は地元の学校に連日利用されているとのことであった。
 その日、こんなことがあった。
@私がリフト券を買いに行ったとき、売り場は閉まっており人がいなかった。困っていたら遠くから係りの人が駆け寄ってきて対応してくれた。
A団体客とはお昼の時間をずらそうと思い、入れ違いにセンターハウスの食堂へ向かったのだが、どのテーブルにも団体客の荷物が置かれたままで、店内の照明は消されており、店員さんも引き上げてしまっていた。うっかり入ると泥棒だと思われ兼ねない状況である。(もう1件の食堂は店内の一角だけは占拠されておらず、店員さんもいたのでどうにか食事にありつけた。)
 これでは一般客は離れるだろうと思った。だが、戦略としてターゲットを学校の団体客に絞ることで生き残りを図っているのであれば、正しい行動と言えるかもしれない。来るかどうかも分からない僅かな一般客のために終日人を張り付かせるなどは無駄であり、余力がないとできないことである。

スキー客動向

 スキー人口(スノーボーダーを含む)の推移は、1985年頃まで緩やかに増加していたが、バブルとともに急激に増え、1998年をピークに減少が進んでいる。

 私が人であふれかえったゲレンデや何十分ものリフト待ちを経験し、「空いていること」をスキー場選びの第一条件にするようになったのはスキー人口が激増する前の1985年頃である。その後、スキー人口は倍以上になったにもかかわらず、リフト等輸送人数は2割程度しか増えていない。リフト待ちと道路の渋滞はますます悪化し、快適性の低下したスキーのブームはバブルとともに去った。
 近年のスキー人口はピーク時の4割程度まで減ってしまったものの、バブル前と同程度である。ただし、リフト等輸送人数はバブル前と比べても大幅に減少しており、1人当たりの滑りに行く回数が減ったことを示している。

つぶせないスキー場

 これだけ需要が減れば、スキー場の淘汰は当然進むことになるが、そのスピードは遅い。過去に長野県のスキー場を対象に行われたアンケートでは、赤字だとの回答が6割を超えていたそうである。それでも簡単につぶすわけにはいかないのがスキー場である。閉鎖すれば宿泊施設など周辺の産業へも影響を与える。また、廃業する際には山を自然の状態に戻さなければならないという事情もある。そうであるなら、どうにかして立て直すことを考えるしかない。

変わるスキー場

 そんな中、全国で経営不振のスキー場を立て直し、急成長を遂げている兵庫の会社が、テレビ東京の「カンブリア宮殿」で紹介されていた。その会社の社長によると、世の中の多くのスキー場は、雪山でリフトを動かしてさえいれば客が集まっていた時代から変わろうとせず、他の業界なら当たり前のマーケティングを行っていないとのこと。実際、その会社では、スキー場ごとの特徴を生かしてそのスキー場でしか持ち得ない役割を考え、他のスキー場に負けない売りを作ることで売上を伸ばしているそうである。簡単なことではないだろうが、斜陽産業などと呼ばれることもある業界で、まだまだやれる余地があることを実証してくれている。
 その会社に限らず、海外客の取り込み、豊富な食堂メニュー、小さな子供連れでも遊びやすい環境作り、レンタルスキーの充実、リフト営業時間の延長、周辺スキー場との連携など、顧客満足を高める取り組みや営業努力をしているスキー場に対しては、一人のファンとして心より応援したい。逆に、まだ何も変わろうとしていないスキー場に対しては、動くなら今のうちだと言いたい。じわじわと淘汰が進む中、全てのスキー場が潤うほどの需要はないのだから。


リレー執筆第13回/H28年6月1日  福島 繁
「“経営診断”折々の教訓」

 経営コンサルタントは“書く”ことが多い職業である。特に重要な書きモノに「経営診断報告書」がある。30歳前、経営コンサルタント会社へ入社以来、大小合わせ約200社の経営診断報告書を書いてきた。我々の主目的は「会社を良くする経営協力・経営支援である」 その出発点として「経営診断」がある。「経営診断」と「経営協力・支援」とは表・裏の関係にある。「経営診断」の重要性からして毎回、多大の精力と時間をかけ調査分析・考察し報告書を書きあげる。約200社の報告書はコンサルタント稼業の最も大きな成果物であり、財産である―医者の最も大事な財産である「診断症例集」と同じであるー
 企業は100社、100様、それぞれの会社の経営診断で顧客に提案する診断内容は1社ごと異なり固有のものである<Individual Problem Individual Method> 同時に我々コンサルタントが1社ごと折々に得る教訓・感想も様々である。忘れられない思い出もある。幾つかのうちの3つを記すことにする。

その1 最初の「経営診断」―精留塔へ昇り化学工場診断―

 28歳の時、“糸へん”の会社から経営コンサルタント会社へ飛び込んだ。6か月後 中堅企業の総合経営診断チーム(8名)に加わる。3年先輩の製造部門担当チーフの下、サブ診断員である。始めてヘルメットを被り安全靴を履きトール油の高い精留塔に恐る恐る昇る。設備管理診断からスタート、品質管理、原価管理・・・と進める。現地調査、インタービュー、資料分析、会社に寝泊まりし取り組む。始めての化学業界、顧客が価値を認めてくれそうな改善策がなかなか出てこない。 そこは先輩主体の提案力で報告書は作成できた。総括責任者の厳しいチェックもあった。各部門のチーム力を結集する総合診断としての報告会は成功裏に終了する。総合診断の多面的分析と多くの作業に面くらい何が何やらわからないまま終了してしまう。 3か月後、先輩コンサルタントは診断能力に限界を感じたのかこの会社から去っていった。この事例を含め新人コンサルタント期に「経営診断を1社担当すれば寿命が1年短縮する」という小生なりの経験則を掴んだことを覚えている・・・・・・・・・・・
 それから幾星霜を経た現在、この会社は東証1部上場まで発展した。今も時々、その精留塔を眺めることがある。200社余も診断したのに私の寿命は続いている。おかしなことだ?“と一人笑いする。「原点忘れるべからず」ということだろう。

その2 初の海外企業診断―韓国の紳士服メーカーー

 35歳、潟^ナベ経営のチーフ・コンサルタント時代、マーケティング専門部長のもと韓国・紳士服メーカーの戦略診断を行った。4名のコンサルタントで3回、訪韓した。この会社は当時からダイナミックに発展中のサムソングループの子会社である。紳士服は同国でまだレディ・メイド市場になっていなかった。ブランド化を図りながら既製服市場を創り、業界トップ企業として主導権をとることが主な診断目標であった。総合戦略、経営計画、営業、生産の4分野で診断する。小生は経営計画を担当した。調査・分析の診断手法は日本国内の方式と同じである。だが取り巻く経営環境、市場構造、経営風土等は大きく異なる。真の実態を把握することは難解だった。韓国経済の成長エネルギーが旺盛の中、当社の社員意欲は高く働きぶりも活発である。我々診断チームへの協力姿勢も大変、良い。それに合わせこちらも昼間は現地調査、夜はホテルで討議と集中作業で対応する。営業担当のA君は早朝、ソウルからセマウル号に乗車し沿線の市場調査のため出発する。馬山に一泊して翌晩、ホテルへ直帰する韓国縦断の市場調査をやってのけた。総合結論として売上げ5年後約3倍を目標とする中期計画を策定し最終報告をした。
 <内心、強気すぎる高成長計画かと気になった>
 グループ百貨店の発展計画との連携も見込んで思い切った勧告をした。帰国後も計画がうまく進んでいるかが心配だった。すると数年後 当社の診断窓口担当部長が業界調査を兼ね来日された。久しぶりに再会すると「中期計画は予定オ−バーで発展中」ということだった。改めて診断成功の御礼“の言葉もあった。ほっとした。同時に我々の診断力が海外<近隣国>でも通用することを確認した。 続いて台湾企業の診断にも関与した。

 我々の診断力が海外<近隣国>でも通用することを知り少しの自信を持つことができた。又、国際的視野で日本企業を診る”着眼点を養う初めての機会にもなった。

その3 独立後の初診断―「新幹線」車中で必死に書いたー

 38歳で独立後、まもなく元勤務会社から独立祝儀のような流れで経営診断の依頼を受けた。当時、この会社はメキシコ等海外3か国に生産会社を持つ日本有数の産業用繊維資材会社であった。1960年から70年代、日本経済は高成長し人件費が高騰、繊維業界の殆んどが国際競争力を失った。当社はいち早く海外生産シフト化を図りこの面では軌道に乗った。が反面、国内工場群の衰微が大きな問題となった。本社工場を含む3工場の構造転換を図る経営改革案を策定することが診断の命題だった。我々3名が診断にあたる。小生は主に3工場の構造転換立案を担当した。当工場はもともと若手社員として鍛えられた職場である。又合理化プロジェクトの旗をあげた場でもある。10数年を経て今度は経営コンサルタントとしての再訪問である。「鍛えられた工場へ今回は改革提言」それは一見、異常な関係であり無理に思える仕事であった。だがかえって闘志が大きく湧いた。
 <私の診断スタイルはラストスパート型>
 現地調査、・現状分析を徹底して行う主義だ。仮設をたて納得ゆくまでギリギリ考察する。それだけに報告書締め切り前の一気珂成な報告書作成となる。今回もいよいよ締め切り日が迫ってきた。ところがこの時、たまたま東北・仙台での「社員研修」の別件受注が入った。金・土・日曜の超ハードスケジュールである。日曜の午後、仙台で研修を終え新幹線に飛び乗った。大阪に帰るまでに報告書をあらかた仕上げなければならない日程である。診断結論のゴールを見極めながら必死に書いた。当時はパソコンもなかった。座席横の人に一瞥もせず、ただ原稿用紙に打ち込む。東京駅で東海道新幹線の乗り変えたことだけは覚えている。窓の外の景色を見る余裕はなかった。不思議にも新大阪駅に着いた時には提案策がまとまっていた。@本社工場は敷地3000坪の半分を用地転換し「新規事業・ゴルフ練習場の開設」A鳥取工場は国道9号線沿いを活かし「ホームセンター出店」 B山口工場は「ノリ網専門工場化」 もちろんこれらの転換策を提起するために事前3か月は全速力で情報収集等の準備調査を行っていた。


 「車中、必死で書いた事、不思議にも診断の解が明確にまとまった経験」は今も忘れられない。その報告書は現在も我が事務所で大事に保存している。


リレー執筆第14回/H28年8月22日  中島 和樹(代表)
東芝事件に学ぶ不正会計の心理

 株式会社東芝の不適切な会計処理問題は、昨年の決算発表を遅延させただけでなく、監査法人の責任まで問われるという結果を招き、上場企業の会計担当者および経営者を震撼させた。その理由は、これらの不適切会計処理が東芝固有の問題ではなく、IT事業に携わる同業他社において、意図せずして発生し得る現象だったからである。
 東芝の場合は累積した金額が桁違いに大きく、経営者の意図が働いていたために決算発表ができないほどの大きな不正に発展した。
 私は、東芝の競合会社である大手電機メーカーの関連会社に出向して、経理責任者を8年間努めたが、これらの問題ある会計処理を経験した。今回の東芝事件は、これらの不適切会計の存在を世間の衆目に晒すことになったが、あらためてそれらの真相と改善策について考えてみたい。

T.不適切会計処理の4類型

 東芝第三者委員会の調査報告書で調査対象とされた会計処理は、以下の4つである。
 @工事進行基準案件における工事原価総額の見積もりと工事損失引当金の未計上。
 A経費計上に係る会計処理。(引当金の計上時期、仕入原価の翌期繰越など)
 B在庫の評価。(標準原価の改訂と廃棄処理)
 Cパソコン事業における部品取引等。(「Buy-Sell取引」)
 動機は、総資産回転率を最重視する経営方針のもとに、「チャレンジ」と言われる当期利益の嵩上げを強いられたためで、これらは全て利益を過大に歪めるものである。
 本稿では、「@工事進行基準案件」について具体的な内容を検証する。

U.具体的な工事進行基準の事例から

 「工事進行基準」とは、複数の決算期にまたがる長期大規模工事について、会計期末の工事進捗度に応じて収益と工事原価の計上を認める会計基準である。従来の「工事完成基準」では、工事が完成した会計期間にその工事の完成売上高と原価総額が計上される一方、工事期間中は収入費用ともに一切計上されないため、会社としては歪な業績推移になっていた。
 「工事進行基準」は、建設業などでは早くから認められていたが、東芝のようなシステムの受託開発で容認されたのは最近のことである。それまでは、受注分割などの方法で収入費用の部分計上をする慣習もあったが、税務調査などでは否認されてきた。
 東芝第三者委員会の調査報告書では、具体的な工事進行基準の事例を取り上げて、様々な不適切会計処理の発生パターンと各関係者からヒアリングした対応を詳細に報告している。
 A案件は地方自治体からの受注であるが、将来の拡販につなげるため、見積原価90億円に対して71億円で入札したが、工費削減交渉等が成立することを前提として受注時に工事損失引当金を計上しなかった。
 B案件は国立研究開発法人からの受注で、見積原価総額34億円に対し、事業戦略上の必要性から21憶円で受注したが、工事損失引当金を計上しなかった。また、信頼性のある見積原価総額であったにも拘わらず工事進行基準を適用しなかった。
 C案件は発電所の付帯設備装置に関する案件で、11億円で受注したが、検収時にトラブルが続いたにも拘わらず、その費用を見積原価総額に含めていなかった。
 D案件は発電所の製造を当初189億円で受注した案件であるが、外貨購入品が見積原価に含まれており、為替レートが受注時の1ドル85円から大きく円安になった。見積原価総額の修正を行わなかったため、工事損失引当金の計上もしなかった。
 E案件も発電所から545億円で受注した案件であるが、資材価格の高騰によりコストが上昇し、毎年損失が膨らんでいたにも拘わらず、完成時に69億円の損失が計上されるまで工事損失引当金を計上しなかった。
 F案件は発電所に発電機を設置する工事であるが、306億円の受注金額に対し20億円の損失が見込まれていたにも拘わらず、具体的な裏付けのないコストダウン策を織り込んで工事損失引当金を計上しなかった。
 G案件は連結子会社が受注した発電所であるが、同社が報告した設計変更及び工事遅延等による見積工事原価総額の増加見積値を東芝が過少に評価したものである。東芝の見積値は根拠のないものであり、米国の監査法人から指摘を受けて、日本の監査法人は未修正の虚位表示とした。
 以下、売上高10億円以下の案件や東芝が自主的に申告した案件を含めて、事例の数は19件にもなる。

V.不適切な会計処理が生まれる原因と背景

 以上の問題が生じる背景には、長期請負工事に内在する独特の難しさがある。第1の問題は、請負金額と見積工事原価がなかなか確定しないことである。最初に仕様の打ち合わせをした後で両者の勘違いや言い忘れが発覚することは多い。また、制作途中で追加の要望が出てくることもある。この場合、作業の手戻りが生じると思わぬコスト高になる。客先要求であれば請負金額に反映させることができるが、制作側のミスであれば忽ち赤字受注になる。また、注文書と請書を文書化していない場合は、トラブルの原因にもなる。
 第2の問題は、長期にわたる請負工事の損益を人為的に区切った会計期間にどう配分するかである。「工事完成基準」においては、完成工事の有無によって各期の売上高と損益が大きく変動し、会社の業績を正確に表示できない問題があった。また、完成引渡日が1日ずれただけで、対予算の売上高と損益に大きな差異が生じていた。「工事進行基準」は、この問題を解決してくれるかに見えたが、今度は人為的な恣意性が介入するという厄介な問題が生じている。
 今回の東芝事件で焙り出されたのが、この恣意性の問題である。会計基準は「工事進行基準」と引き換えに、工事損失引当金の計上を要求する。これは、会計基準が目指す適正な期間損益計算と保守主義の原則のためである。
 第3の問題として、そのような恣意性がどのような形で現れるかということである。人間の本能として、自分に不利になることは成るべく言わないでおこうとする。赤字受注が発生した時でも、場合によってはコスト削減や値上げ交渉に成功するなどして取り返せるかもしれない。何も先走って工事完成前にロスコン案件(2億円以上の工事損失が発生している案件)であることを告白し、工事損失引当金の計上を申請する気にはなれないのである。東芝の場合、ロスコン案件の規程とは別に、上長の決裁が無ければ工事損失引当金の計上ができないルールもあったという。

X.抜本的な不正会計防止対策

 東芝第三者委員会の調査報告書では、第7章「原因論まとめ」と第8章「再発防止策(提言)」の中で、「直接的な原因」と「間接的な原因」についてまとめている。
 「直接的な原因」の多くは東芝の企業風土によるところが大きく、経営者などの意図的な動機も働いて、多額にのぼる不適正な会計処理の結果を招いた。しかし、「間接的な原因」については、経理部、内部監査部門、経営者などによる内部統制機能に関して教科書的な指摘がなされており、これはどのような会社にも共通の問題である。
 本当に有効な防止対策は何か考えるためには、何が欠けていたかを知ることである。調査報告書では通奏低音のように、内部統制機能を果たすべき経理部門などが、何も知らされていなかった、あるいは知り得ても何もできなかったという記述が出てくる。製造企業において経理部の権限が弱いのはよくある話である。
 前職の会社においても、元請の大手電機メーカーも含めて、経理部には内緒という話が多かった。情報システムも、会計システム、受注システム、生産管理システムが独立して存在し、人手を介さなければ情報が流れることはなかった。これらを自由に見ることができるのは国税局の税務調査官だけだった。
 私は、全社のシステムを統合して情報を共有することを主張したが、本社への復職辞令を受け取り、見果てぬ夢となった。


リレー執筆第15回/H28年10月2日  久保田 稔
第4次産業革命

 今年3月頃、囲碁のAIソフトが現在の最強棋士の一人とされる韓国のプロ棋士に5番勝負を行い4勝1敗で勝ったとのニュースがあった。囲碁は極めて高度で迅速な解析力や判断力を要するゲームと思っていたが、プロ棋士を超えるAI技術力の進歩に驚きを感じた。近年のITやAIなどデジタル技術は革命的な進歩があり、様々な分野で実用化が進んでいる。技術革新が多種の産業で実用化され社会構造の変革まで生じる現象を産業革命と経済学者が定義したが、現在までに3回の産業革命とあったとされ、近年は第4次産業革命期と見なす考え方が各種メディアに登場している。過去の産業革命期と鉄鋼業の技術史をごく概略回顧してみる。

第1次:18世紀後半、イギリスにて蒸気機関が開発され各種産業で用いられ、機械化された工場や蒸気機関車などが実用化された。動力源は石炭が主力となり、鉄鋼業でも従来の木材エネルギーより高温処理が可能となり大幅に生産が効率化された。

第2次:19世紀後半、重化学工業が工業の主力となり、動力源は石油と電力へと移行していった。鉄鋼業では、この時代に鉄中の不純物を効率的に除去する大型平炉が開発され、各種工業の基礎資材供給の役割を担った。

第3次:20世紀後半、工業製品の生産工程の自動化が進んだ。鉄鋼業も自動化・連続化・大型化が著しく進んだ時代であった。

 日本では、明治期以降の富国強兵政策のもと戦前まで第1次・第2次産業革命が同時進行し戦後も民需品生産では欧米技術に追いつき追い越すことに躍起となった。しかし、第3次産業革命は日本が世界の主導的役割を果たすまで技術力で優位に立った時代であった。

 ITやAIを中核技術とする第4次産業革命には日本は出遅れている。家電産業の凋落は、その一例であろう。技術がアナログからデジタルに変化したにもかかわらず、製品設計製造体制を特定の下請企業との擦り合わせで総合力を発揮するインテグラル型から脱却できなかったことも一要因と思考する。デジタル製品は部品間の調整を不要とするモジュール型製造技術を可能とし、その技術の優位性を発揮したグローバル企業が出現した。液晶テレビでオンリーワンを目指し巨額を投じ亀山や堺工場を建設したシャープは、ファブレス企業のアップルやEMS企業の鴻海などとの競合で劣位となった。電子産業のビジネスモデルの変化は特に激しい。

 約6年前より、ドイツでは「もの作りでの敗北は国家の衰退と同義」との認識のもと「Industrie4.0(第4次産業革命)」に国策として官民挙げて取り組んでいる。一方、日本では安倍内閣は9月より第4次産業革命を中心に据えた首相を議長とする「未来投資会議」を新設し着手している。この産業革命は2次産業だけでなく生産性が低いとされる1次・3次産業の競争力向上も期待される。技術革新は民間主導で行うものであるが、産業革命の実現には官の発想転換による大胆な構造変革が求められる。また、産業革命期には、経営革新意欲の有る中小企業にビッグビジネスチャンスをもたらすであろう。


リレー執筆第16回/H28年12月19日  千田 徹夫
阪神大震災共助とオンリーワン経営に見る「愛」
社員への愛から優れた経営へ

 県下ではユニークで優れた企業が多く生まれ育ち、国際的な評価をも受けている。
 金属加工分野のT社の第二創業を遂げたW氏。経営者の役割は、社員を心から愛し、モチベートすることと断言し、職人を大切にし、技量をフルに発揮させる組織を手間暇かけて創りあげ、多品種微量受注生産のビジネスモデルで成功した。同社では今何を狙い・なすべきかWhat to Doを明示し徹底している。それを受けて各部門と個々の担当社員も、何をすべきかを熟慮し互いに確かめ合っている。
 ある工程の装置の目立つピンクの塗装の理由は「担当者の好み」とか。旧来の経営の哲学では、外形の統制から組織を成り立たせるので、あり得ない。だがWhat to Doが明らかな当社では、装置の塗り色などは趣味で決めても、組織運営は力強くこそなれ揺らぎはしない。
 従業員満足を、掲げる企業は多いが、それは顧客満足などと並列するのが普通。当社では、顧客満足をとりたてては考慮せぬと言う。だが社員の業務への意欲は高く、納期をほぼ100%完遂し、結果として顧客の満足度は高い。

その朝開いていた診療所

 1995年1月17日早朝 阪神大震災、思いがけぬ大災害に日常依存する文明・利便のほぼ総てが停止・崩壊した。
 住宅の倒壊と負傷者が続出。ライフラインの機能停止と、医療機関の多くも休止。
 まちの機能が麻痺し、何を頼るべきかも不明。都市社会も倒壊かと危惧したが、光明があった。
自作短歌が残る 「頼り無く 文明潰えん 瀬戸際を 魂触れて 人ら支え合う」
 息子が軽傷、大事をとって頼った掛かりつけの外科・整形外科と内科のT医師は、朝から扉を開放していた。診察室や措置室は、見なくとも使えず、ほの暗い待合室で。日ごろは座りにくいと不満だった背凭れ無しのソファーは、そのまま急患用のベッドであった。万一の際は町の人々を護るとの医師の意気が、まっすぐに伝わって来る。
 重症患者からのトリアージ、手すきの人、もっと灯りを。軽傷の君はマッサージを。
 レントゲンの使える大きい病院、転送できる所を探して。停電で当院のはダメや。重症の骨折が沢山、レントゲンで診ないと治療の方針が立たん、大急ぎで。
 山のK病院へ、救急車無いか。寝かせて行ける自動車を何台か。荷物を道端に下ろし避難は後回しにした大きな乗用車。
 患者の付き添い、軽傷者たち、気遣う近所の住民たち、臨時救急車隊と、助け合いの輪がどんどん拡がって行く。
「きれいな水、僕が飲むのやない、傷口を洗う。見て、薬も包帯もダメや、泥と埃でまみれた患者さん、診た後、せめて傷口を洗いたい。急ぐ。沢山。」
 水を、最初に提供してくれたご婦人の「お茶の水」は、コップ一杯分ほど。怪我人は多数、足りんと怒鳴りかけて、お家の最後の飲み水と気付く。冬とはいえ家族の喉が渇けば、これしかない。本気で怪我人の手当てを気遣うご婦人は、後先の計算は抜きであった。
本当の援け合いはこの純な心だと、胸を打たれた。
懸命に医師を援けている心算で、文句無しに協力を得るよう上手く言おうと、計算している自己防衛の心理を醜いと恥じた。素直に、見習おうと、切り替えた。計算抜きで傷洗う水をと呼びかけると、出遭う人が皆とても優しかった。
 医薬の調達を医師から求められたのは3日目、医院からは通じない電話番号と、カナで3行の薬品名のメモを持ち、あてどなく自転車で出発した。
 人の出入りする区役所の保健所ならと思いつき、窓口を訪ね来意を穏やかに告げると、メモは見てくれたが、「医薬を配るのは区内の診療所全部に公平にするから」には頭へ来て、「診療所の当日からの働きを見て言うのか、実情を知らぬ役所はダメだ」と去った。顔見知りの区の幹部の助言があったのか、後に白バイか何かで医薬の供給はあったそうだ。
 この区の幹部さんは臨時救護所の所在を教えてくれた。東灘の西の端の公会堂の救護所の若い医師はもう暇そうで、リストを読んだ後「化膿止め、下痢止めに風邪薬か、贅沢だねえ。ここには無い」臨時救護所に救援の医師なら、さしあたりの救命だけ考えていたのが分かる、私も素人なりに同じ観念だった。
私は急に胸が熱くなった。重傷者の救命に忙しいT医師は既に、住民の平静な生活のための健康維持を目指し始めていたのだ。
私にも復興・再生への希望が沸きあがってきたのだった。

ご近所同士の共助の力

 ある研究レポートに『生き埋めからの生還者の75% は近隣同士の助け合い・共助に依っており、救助隊員・公助による生存者は25%』とある。私の見聞からその共助は主に1月17日震災当日のことだろう。
 道路網壊滅とのニュースで、外部からの救援は数日期待できぬと素人なりに覚悟したが、翌朝は近所の被害の激甚な地域が、消防さんでいっぱい。後に聞いたが近隣地をはじめ西日本各地からの救助隊員は、徹夜で障害だらけの行路をほとんど自らの人力で切り拓き急ぎ到着してくれていた。
 だが神戸市の資料では当日中の救出こそが生死の最大の分かれ目であったのだ。
 (1月17日当日に救助されたものの生存率は80% 一晩閉じ込められて
 翌 18日に救助された人の生存率は   29% と大きな差がある。)
またある研究では、直後のこうした住民同士の共助の救命活動がもし無かったら、6千4百余の直接死が、数倍に増えていたはずだと言う。翌日の救出では生存率が大幅に下がる先のデータからも、納得できる。普段我侭に見えた市民らが、東日本大震災のかの犠牲者を上回る生命を護り得たことになる。
 東灘区では、直接死が1471名で最大の被害地と言える。年に7―8名の交通事故死の200倍、200年分の交通事故死相当が一朝に出たことになる。
 だが住民20万の0.7%に止め得た。住民同士の共助によると言えよう。
 私は一人も救っていない。只一人傷を洗う水探しを引き受けて駆け回っていた。その途上、全壊の住居前で佇む老婆に連れ合いは未だこの下だと告げられる。放置できない。だが水探しも急ぐ。少し向こうで、水のことを尋ねても反応無く、呆然としていた男達を思い出し「大きい声で向うまで叫べ。私は急ぐ」と言い捨てて走った。
 苦い選択で、結果が気掛かりであった。
 夕刻水探しにめどが立ち、様子の分かる人にそっと尋ねると「すぐ集まり、助け出した」と聞き心安んじた。かく、罹災者で、用具も、組織も無い人々の手で、多くの人命が救われた。
 その動機は人間愛だ。かの僅かな飲み水を負傷者を洗えと差し出した婦人と同じ、生命を慈しむ優しい心に発し、できることから、知恵と力を出し合った結果と言うほか無い。

官と民との折り合い

 復興には『折角古い神戸が壊れたのだから新しい神戸を創ろう(神戸大T教授=当時)』など創造的な復興を目指そうとの意見が各方面にあったが、担当官僚は「復旧にはすぐ予算を付けるが、新たな試みが加われば検討の為後回し」罹災地に焼け太りを許すと他の地域との公平を欠くだとかの論理だ。創造的復興へは、後の災害においても進歩が無い。
例えば港湾施設復旧には数千億円の巨費と歳月を費やしたが、復旧は出来ても既に時代の要請に合致せず、一部は間もなく解体し発途国の施設に譲渡、跡地は大学などとなった。最近もアジアの新興の港との競争で、神戸は設備能力ではるかに遅れている点が課題となっている。
 阪神大震災で市民の共助が多数の生命を救ったのは明らかだが、この事実を役所筋は積極的に伝えようとしない。
ちょっとした地震に国営テレビは全チャンネルで一斉に同じ画面をくり返し「危険な所(倒壊した家)にちかづくな」と繰り返す。
最近もどんな罹災地へも72時間で救援を出すと豪語した要人が居る。
我々の市民力の立証をまともに否定されたようで、違和感がある。とは言え偏ってもなるまい。為政者からの市民協力の宣伝は、要注意だと戦中を知る私には思える。
 太平洋戦争の末期、無理な戦争を継続するために「銃後の守り」等と精神面の運動・宣伝がしきりだった。焼夷弾爆撃に備え母親たちは、防火用水のバケツリレーの訓練を強いられ、小国民は本土決戦と称し竹槍を持たされた。いずれも客観的には危険で、効果は無い。軍部政権が戦力・施策の不足を民間の精神運動へ押し付けようとした誤りは、繰り返させてはならない。微妙なところだ。
 だが市民が・ご近所同士が、3日目の救援を当てにして、危険も伴う共助を控えたら、当地のように99%が生き残れはしまい。
 官と民との折り合いは悩ましいが、旧来の官依存から昇華し、落着を図らねばならない。

慈しむ心で出来ることから

 旧来の価値観・哲学が、いまだに世の中の大事な局面の多くを決めている。
冒頭のW社長は、その言い値を護りNoと言える新たな哲学の経営に、挑んだ当初は社内外の先達にも、コンサルタントにも反対され、異端の経営だと自らも思った。だが、今日の烈しい競争の下で先進的な企業のあるべき姿だと思える(記憶を元に要約出典等は3月14日の講演までに確認します)と語っている。
社員への愛が、新たなビジネススタイルの提唱にまで至っている。
 震災体験の語り部として、わが町での震災時の、優しさに発した共助を語ると、若者達は共感し傾聴してくれる。そこで私はさらに言う。
 『あなたたちの優しさは、かのとき助け合った仲間のそれと同じだ。この優しさを持ち続けてくれれば、君たちの町でも万一のとき、わが町神戸と同様の共助が始まるはずだ、周りの人たちとともに、本物の優しさを持ち続けてほしい。』これも納得を得ると更に
 『天災の時だけか。愛する未来の家族・仲間たちの命を危うくする、くだらない犯罪・環境破壊・紛争などについても、命慈しむ優しい心で、出来ることから、知恵と力を合わせあえれば、君たちの21世紀は、きっと光り輝くものとなる。
 私たちの20世紀には、戦後の飢餓状態を立て直そうと、古い価値観でわき目も振らず働かねばならなかった。その「優しさなど邪魔だ」というような古い哲学は今も私たちの多くを縛っている。
 君たちも、格差社会・人工頭脳やロボットに負けぬようしっかり勉強し働け、だが優しさまで捨てることはない。まず飢えることは無いのだから』と。
 こうした新しい哲学への提唱を若者たちは受け止め共感してくれている。世の旧い仕組みや哲学に対し、人間愛などに発した新たな胎動は少しずつ力を付けてゆくものと期待し、自らも貢献したいと思う。


リレー執筆第17回/H29年4月18日  塔筋 幸造
インド視察旅行記[交通事情雑感]

 2017年2月〜3月にかけて、インド視察旅行に出かけました。
当初の仕事の目標は無事達成をさせて頂きましたが*1、せっかくのインド訪問での雑感をご報告したいと思います。

 まず人口の多さには感心するとともに、活力源としての人口ボーナスの対象国ともいえます。

 中国      13億6,782万
 インド     12億7,672万
 バングラ     1億5,985万
 韓国        5,042万
 ネパール      2,843万
 スリランカ     2,110万
 ブータン        77万
 (いずれもIMFより)

 今後40年間で成長余力のある国としての中国との人口の量での双璧ですが、中国が高齢化社会の問題がある現実を加味すると、インドの成長余力は高いといえます。

 今回は3都市のみを回る行程でしたので、全土では違う現象もあり得ると思います。
 まずは交通事情でしょう。
 東南アジアでも、激しい交通量の都市は多くありますが、インドの現状はやはりトップクラスでした。
 確かに運転が荒く、混雑時は車間距離数十センチくらいで流れます。また、二輪、三輪(ツクツク)の数が多く、どんどん割り込みは当たり前、追い越したりしながらも流れます。追い越すときや、ホーンを鳴らし続けます。どの車もホーンを鳴らしますので、うるさいだけで何が何だかわかりません。カーブでも平気で追い越します。二重追い越しも多く、これも危険です。道路脇にはさまざまなものがノロノロと“走行”しています。牛車、牛などの家畜です。そのほか、野良牛、野良猿、野良ヤギを多く見かけました。

 歩行者もルールを無視して渡ってきます。
 信号で止まると、子供の物乞いや本や新聞、果物などのモノ売りがよってきて、車を取り囲みます。中に乗っているのが外国人だとわかると、さらにアピールしてきます。やがて青になるとまた走って去っていきます。バスでも同様です。

 歩行者が密集するマーケットの中を車が徐行しながら無理矢理突っ込んできたりします。インド人の方は列車が遅れてもまったく動じないとのことです。これは数分遅れでイライラする日本人と比べて寛容です。

 しかし、自分が運転するとなると真逆になります。日本人はお互いに道を譲り合いますが、インド人運転手たちは、「道を譲る」ということを知りません。ガイドの方から聞いた話ですが、「日本で交通事故を目撃したとき、当事者同士がお互い冷静に対処しているのを見て驚きました。インドで交通事故はよく見るけれども、考えられない。お互い罵倒するのが普通ですよ」とのことでした。交通事故に国民性が出るかもしれません。
 短い滞在中のバスも、急ぐからと信号無視をするのを体験してしまいました。
 いくら早朝でも、背筋に寒気が走ってしまいました。

 1日の交通事故死亡者数は世界第1位

 インド犯罪記録局の1番新しいデータ(2008年)では、1日当たり396人が交通事故で死亡、1297人が負傷しているとのことです。これは自動車の数がインドよりずっと多い中国と比較しても多い数字で、もちろん世界1です。

 日本では、交通死亡事故は年々減っていて昨年は5000人を切りましたが、人口でいえば10万分の4の確率です。インドでは、10万人以上の死者があり、登録自動車台数と事故の比率でいえば、インドでの交通事故発生確率は、日本の約50倍ともいわれています。

 インドでのビジネスを考えるときは、交通事情と事故についての考察や対応が重要です。

*1 守秘義務のため、ビジネスの内容は割愛いたします。


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